Okonomiyaki
地球外生命体について考える夜は、思いのほか有意義であると知られている。
夜空を海に見立てて、そこに宇宙船を浮かべてみる。乗組員は無難に宇宙人だとして、人間的な感性で造形について思考を繰り広げるのだ。
触手なんか生やしても良い。仮になかったとしても、はいそうですかと一蹴してしまえば良い話で、別に問題はない。だが、未確認の存在について人の理性を働かせるのはなかなか英断だとは言い難く、だからといってどうすれば良いのだと、大して役に立たない苦言を呈してみたりするのが世の常であり、宇宙センター何某の方でも苦戦を強いられている。現在の人間に似ているとするのは己への過信を露呈する結果となり、明治時代の方にヒントがあるのだと言うのもやはり人間で、お忍びで旅行を楽しむ宇宙人を探し当てる術も知らず、事態は右に左に、縦に斜めにと彷徨し、一層の困難を極めている。
つまるところ、無駄な事はやめて憶測を広げろというのが宇宙人からのメッセージだと言って差し支えない。
世界に宇宙人が存在しているのは紛れもない事実で、各地を放浪している。強盗紛いの所業を繰り返して生計を稼ぎ、それにしては穏やかな性分をしていると話題にはならない。例えば、ある種族は適応に重きを置いている。土星の周囲を漂うエピメテウス環は粒子で構成されている。そこにしれっと参戦してみたり、あるいは地球に赴き、お好み焼きに矢鱈と拘ってみたりと、その土地に根付いた文化にひっそりと寄生し、そして模倣する。全うした時においてのみ、塵とか人間だと認められる。
赤の他人を全て人間だと決めつけるのはどうなのか。僕はそう言いたい。それならば、お前は焦げたベーコンよろしく周囲に噛み付くのかと言われる。そういう訳ではない。ただ、宇宙人には地球外生命体らしい応対をすべきなのではないかという事である。
例えば今、僕の目の前には前述の通り宇宙人がいる。
赤椎茸族の一種に違いなく、なぜそんな事を知っているのだという疑問に対応して、幼少期に描いた宇宙人の絵が浮かんでくる。ベニテングタケみたいな。
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カテゴリー: SF
投稿日時: 2025/10/24 10:08
ot
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11.4 ~