僕の人生 5話

12月の高野山は寒く雪が積もっていました。朝起きると雪かきから始まり、たくさんの外国人が宿泊に来ていたのを思い出します。朝予定通り朝食の時間を聞いておき布団を片付け朝食を各部屋に配りに行き終わったと思えば1番先に出したところが食べ終わったと電話がなり朝昼晩ずっとこんな事の繰り返しでした。高野山の宿坊は精進料理と言って殺生してはならない教えなので生き物系の食べ物は出ません。主に山菜や高野豆腐がメインで外国人の方達は逆に珍しく喜ばれていました。もちろん従業員や寺の人達は肉も魚も卵もなんでも食べます。ただ米に関してはお客様におひつでご飯を出しますが残ったおひつの米を従業員用の炊飯器に足して食べました。僕達若い男性は全部仕事が終わった後にしか食べれないので炊飯器の底の方の石みたいになった米を食べなければいけなかったのは本当に辛い思い出です。だからよく近くの丼屋に行って安い卵丼を食べていました。もともと高野山の麓の方に住んでたので、たまーに仲間達が遊びに来てくれました。家もなかったので耐えるしかない僕を思って来たのか冷やかしなのかは分からないけど、めちゃくちゃ嬉しかった。休みになると板橋の家に泊まらしてもらい遊びまくって辛い事も忘れる時もありました。1年くらい高野山に住み込みして休みの日に板橋の家に泊まりに行った時帰るのが嫌になりおかんに電話して帰らないと報告しました。最初のうちは板橋に甘えてバイトして金貯めるからちょっと住まわしてと言うといつまでもおったらええと言ってくれた。3ヶ月ぐらい安いボロアパートを借りれるようになりおかんも呼び寄せた。1個上の先輩の瀬川くんが仕事を紹介してくれ正社員で工場に働くようになった。車の免許も取り安い中古の車も手に入れた。忘年会をするもんなら100人くらい集まり誰が誰かわからんくらい人数が集まった時もあった。金はなくてもそんな仲間たちに囲まれてすっごい幸せだった。
ひでぶ
ひでぶ
はじめまして よろしくお願いします