生きるということ
最近、生の意味というか 人間に生まれた以上無慈悲に与えられた人生の無意味さや残酷さについて、いやでも考えさせられるような、まだ暖かい人の肉片を鼻先に突きつけられるくらいの 目を背けたくなる出来事があって、今まで気付かないふりをしていた問題が悪夢みたいに 思考停止していた頭に流れ込んできているんです。数年かけて消化してきた鬱々とした感情が一瞬で溢れかえってしまって、心がもう、なんだかだめです。
おまえの努力なんて全て意味の無いことだよ と誰かが常に隣で囁いていて、僕はそれに反論するすべを何も持っていないんです。たとえ親より信頼している友人に、そんなわけない 大丈夫だ 死なないでくれよ と言われたって、それが心からの言葉だと分かっていても 分かっているからこそ、そのことばを正面から受け取ることが出来ないんです。ぼくは友人たちとより 希死念慮との方がよっぽど仲良くできる気がしているんです。
そもそも三年前に、世界でたった1人のよりどころだった恋人が交通事故で死んでから ぼくは常に希死念慮とともに生きてきました。三年前の事故から一週間後に 当時薬局で気軽に買えた睡眠薬を大量に服薬して自殺を図ったとき、なぜか死にきれずしぶとく生き残ったぼくは病院の天井を見上げて あぁ、彼女がとめたんだ しぬなと言ってるんだと思いました。けど、ひとりでいるのはつらい。考えないようにしていたけど、つらいです。
それでも今まで ぼくはなんとか地を這いずり生きてき、最近ではかなり自然に生活していたつもりでしたが、やはりあの時粉々に砕けきったぼくの精神は 元のように修復することは二度とないのかもしれないと 今 思い知らされているようで それがあまりにつらいです。もう一生ぼくは このぼくの歪な精神と生きていくしかないのだと 絶望しているんです。
現在の絶望は必然 未来へも繋がっているから、今この瞬間がつらいと考えているうちに、ぼくはこのまま大学を卒業したとして、仮に就職して、順当に定年退職、そして老後、そこに希望はあるのか?意味はあるのかと 考えてしまうんです。かつて恋人と2人で考えていた 将来お金を貯めて田舎に平屋を買って、大きい犬と2人で暮らそうという夢があったけれど、それを今実現したとて恋人はもういないので 意味は無いです。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2022/12/15 15:17
最終編集日時: 2023/4/15 14:42
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