すみませんでした
こんにちは、東です。
ぼくは今、川沿いのお散歩コースにあるベンチに腰掛け、木漏れ日を背にこの文章を書いています。早速本題の『すみませんでした』の内容ですが、ちらほらと書いていた『昨日は死に損ねたもので』の連載を辞めようというのがまず一つです。どうでもいい人がほとんどだと思うので、この話題はこれまでにしておきます。
本題はもう一つの方で、では東は何に謝っているのかといえば、それが自分でもよくわからないのです。思い当たる節はいくつかあります。最近の自分の文章に納得がいかないこと、SNSが伸びないこと、経営が上手くいかないこと、それに伴いお金がないこと。苦しい理由を考え出したらキリがないけれど、しかしそのどれもが本質的な問題ではないような気がしました。
動画が伸びたり伸びなかったり、お金が無かったり(これに関しては充分にあったことがない)、そんなことはぼくにとって、当たり前のことだからです。いつものこと、それなのに突然それらが気になってきたということは、もっと根の部分に課題があるということなのでしょう。そして恐らくぼくはその課題が何か、わかっている。わかっているくせに、それと向き合うことを恐れ、逃げていることに対して、ぼくは『すみませんでした』と許しを求めているのかもしれませんでした。
自身の課題を抽象的に表すならば、それもまたいくつかあります。やりたいことの限界、自身の才能の限界、本当は何も持っていない自身を認識してしまったこと。中途半端に書いた『昨日は死に損ねたもので』は現在二十五歳のぼくが、五年後の未来を想像して書いたものでしたが、案外今の心境をそのまま書き連ねただけだったのかもしれません。「かもしれません」ばかりを多用するあたり、文章に対する自信の無さが伺えて、書きながら苦笑しています。
かつては一度書き始めた連載を途中で投げ出すことは、あまりありませんでした。けれど最近は段々と、途中で「これ、面白くないな」と早々に見切りを付けて諦めることが多くなりました。仮に書き上げたとしても、主戦場であるTikTokに向けた動画化しないことが増えました。
何を書いても、過去を越えられない。
文章も生きることも何もかも、この二年で上手くなった『気になっていた』だけなのかもしれません。本当は何一つ進んでおらず、寧ろ受けた評価の分だけ自身を過大評価し、変わること、努力することを怠ったツケが、今になって回ってきたように思うのです。SNSという武器の手入ればかりをして、肝心の肉体を鍛えてこなかったような、そんなイメージでしょうか。
「本当の戦士に、剣はいらぬ」
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文字数: 1477
カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2022/6/10 6:58
最終編集日時: 2022/6/10 7:00
東真直@短編を書く人
書けるものを、書けるままに。