誰かのサックスが聴こえない
「ーー右耳が、わからない」
十五の夜、だった。小さな頃に、水疱瘡を患ったことが、再発するなんて。医者は、気まずそうに、おれに言う。すまない、これは小児喘息が蘇るようなものだと。ずっと、潜伏していた微かな、そいつ。だから、そいつが、ある日、まだガキの右耳を奪っていた。
北向きの窓にいる。紫に光る、カラスがいた。雑音が、しゅるりと舌を巻いて。右耳に掛けられた、ヘッドホンがなにもない。なかった、ある筈のものがないことが、リアルになる。繊細なタッチだ、世界は反転しても人生は変わらない。おれに残ったのは、水疱瘡がつけた額の丸い痕。それに、ある筈のものがないという色合い深まった、外への窓だった。それも、たった少しもないほど、北向きと。
「わたし、色盲なの」
「奇遇だな、おれは右耳がイカれてる」
「脳みそは、無事かな」
「さぁ、それも見知らぬ誰が話しかけてくれてるから」
「ねぇ、わたしは脳みそあるって」
「少し黙ってくれよ、性悪」
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2024/2/7 10:43
西崎 静
コツコツ書いていきたいと思っております。よろしくお願いします!成済