青玉II

青玉II
 綴られた文字を静かに咀嚼して、夜も眠らずに黎明を迎える。薄青空には紫雲が靡き、太陽の輝きを巻いて静かに踊る。そんな天の舞踊に一種の安堵感を抱いて、ボニファーツは仕事用の万年筆を握った。持ち手には金が含まれ、中々の重さがある。すぅと隣に動かすと墨が出て英字のAが書かれた。新聞でも見ない美しい形。其の儘、北國に送り届ける作戦書類を完成させている最中、真夜中の事を思い出した。  突然、サーフィーが出航前にエヴァンの顔を見たいと言い出し、部屋へと自ら出向いたのだ。軍服の金釦を全て留めて、裾を揺らしながら部屋へと忍び込むと冷蔵庫に果実を詰め合わせて付箋紙を机に貼り付けた。全身を伸ばして眠るエヴァンの手を握り締めると、名残惜しむ間も無く艦艇へと急ぐ。そして、兄弟への別れでも交わすかの様に、ただ優しい眼で見ていた。其の眼の焔は死に対する覚悟ではなく、必ず生き延びるという決意の様に見える。ボニファーツが隣を歩きながら「叩き起こして、彼と握手でもすれば良かったのに」と残念そうにした。サーフィーは眉を吊り上げて、「握手なんてしたら戦場に行けなくなるし、司令執ってる間に淋しくて泣いてしまう」と俯く。興味の無い青豹は欠伸して、曖昧な相槌を打った。其の刹那、海豚の老媼から情報の通達があり、直ぐに出航する事となった。本部待機する軍獣達が制服を纏ったままズラリと整列し、敬礼で送る。ボニファーツも静かに敬礼をして見送った。堂々と艦艇へ向かう背を眺めて、消えたかと思えば白波を立てて水飛沫を撒き散らしながら艦艇は進んで行った。そして徐々に北西へ方向を変えて作戦通りの動きを開始した。  見送りの後、司令室を覗きに向かう。真ん中に腰を沈めた陸軍大将の一角獣《ユニコーン》が山羊髭を撫でながら全体の指揮を執っていた。背後から忍び寄り、電脳に映し出された映像を見ていると、大将はクルリと振り返って既に別基地の獣だけで西部を鎮圧したと報告した。無論、総帥である此の青豹は全軍の全体的な司令を執るのが正常であるが、大将や幹部に作戦を全面的に任せている。其れは州の会議などで多忙な故の判断であった。  資料がもう少しで終わるという最中に、聞き覚えのある重々しい足音が響く。潮の匂いと獣とは思えない影に唖然としながら、騒々しい扉の向こうを覗き込む。其処には古き友が居た。後頭の鰭を金属板で立てた鯱である。グルグルと周囲を見廻り、部屋が分からないのか番号を何度も見合わせていた。そんな彼を見て、扉の隙間から手を伸ばして招く。 「ディアーノ、僕なら此処だよ」  巨体は小さい歓声を上げてドタドタと扉へと突進した。首裏にある刺青は二筋の赤波で日に日に伸ばしている。何センチ伸びたのだろうかと考えていると、熱い抱擁を受けた。滑らかな肌に染み付いた海潮の香りが鼻を突く。全身に油を塗っているのか、撫でると滑った。暫くは互いの体温を感じていたが、ゆっくりと両腕を離すと椅子に腰掛ける様に手で示した。そしてディアーノは尾鰭を沈めて股を開いたままドスンと座り込み、背広を脱いで黒服姿になった。一方で、ボニファーツが尻尾をクネクネしながら紅茶を淹れようと動くと、ディアーノは肥えた白い下顎を下げて、大きく口を開ける。曲がった牙が文句を言いたそうに覗く。 「げぇっ、其れ不味いんだよ。俺は角砂糖を限界まで突っ込んだ珈琲が欲しいのに」 「はあ、なら砂糖の塊でも呑めば良い」  棚から角砂糖の敷き詰められた瓶を掴み出して、蓋を開ける。そして一つ摘みして洋盃から溢れるまで詰めた。そして偶然沸かしていた珈琲を注ぎ込むと、あっという間に角砂糖は崩れて、珈琲の熱と共に溶け込む。抱き締め合う様に絡まると、さぁと跡形も無く角砂糖が消えた。持ち手に指を通してクルリと回すと、奥底に薄ら溜まっている。ディアーノが巨体を持ち上げて背後から眼を輝かせていた。 「おお、馬鹿みたいに詰めてたのに全部溶けてる」
愛染明王
愛染明王
主にTwitterで行なっている長編創作を書き留めています。表紙は自作ですのでご心配なく!