真夜中のタンバリン
僕はもう生きるのが嫌になっていた。とにかく、一刻も早く死んでしまいたいと思っていた。そして、この世の中から跡形もなく消え去ってしまいたいと、そんな風なことばかりを考える日々を過ごしていた。特にその思考が強くなるのは夜で、家に帰るなりまともな食事を摂ることもなく、かといって他に何かに没頭することも出来ずに、ただシャワーを適当に浴びて冷蔵庫の中に残っている適当なものを腹に落とし入れて真っ暗になった部屋で不貞寝するくらいの一連がここ数ヶ月間のルーティンと化していた。しかし布団に潜り込んでも、すぐに眠りにつけるわけではない。それから何時間も頭の中では決まって過去の失敗や嫌な記憶、悶々とした将来に対する黒い不安や恐怖を巡り渦巻いていて、それらがやっと疲労による瞼の重みで何とか消えていく頃に僕はようやく酷く気怠い身体を寝付かせることが出来るのだった。
僕がこのような状態に陥ってしまった理由には、主な要因として仕事が挙げられた。僕の働く職場では既に何人ものかつての知り合いでそれなりに仲良くしていた従業員達が次々と辞めてってしまったり、もしくは他の店舗、部署に異動を強いられていくという事態が立て続き、僕の周りには気づけばそんないわば自分の職場での支えとなっていた人の温もりが失われてしまっていたのだった。そして職場には嫌いな上司の罵詈雑言や戯事の叱咤が残され、自分の容量に見合わない無茶な仕事のノルマがどんどん積み重ねられて行き、遂には自分とそれほど大して仲の良くない新入りの従業員との二人で忙しさに互いに苛立ちの募るなか、自分の生活の為には、とそれでも何とか自分を奮い立たせて、僕は無理矢理に職場へと勤務を続けているという状態だった。
しかし、それもやはりとうとう限界に達してしまったらしく、僕はいつの間にか仕事を辞めてしまっていた。そして、鬱になっていた。次の新しい職場を探す気力もなく、ただ無気力に疲弊した重い身体を暗々とした部屋に横たわらせていた。僕はもう三十も手前に達している年齢で、今更転職の機会なんて訪れないだろう。この不景気な世の中だ。生きていても何の楽しみもない。すると何故か、僕はそれから自分を事あるごとに責めるようになった。何で仕事を辞めてしまったんだ、とか、何でもっと上手くやれなかったんだ、とかそんなどうしようもない後悔で自分を自身の針で突き刺し、痛めつけていた。嫌いな上司たちの言葉でさえも、悪い自分を正すための正当な啓発の物事に聞こえてくる。果たして悪いのは自分だけなのだろうか?僕はそんな風にも考えることが多々あったが、やがて疲れてそれもやめてしまった。
僕はそして、遂に明日にでも自殺を決行することを覚悟した。やるなら早いうちがいい、そう思った僕は次第に身体が熱くなってくるのを感じた。それは当然、生きる為に向けられた熱ではなく、これから死に向かう者の、重く嫌な匂いのどろどろと溶け出した腐食の物質が放つ湿っぽい温度であり、僕自身にも気持ち悪くなるのが肌で感ぜられた。どうやって死のうか、と僕は瞼が重くならないうちに考えた。そうだ、銃殺がいいかもしれない、と僕は思った。カート・コバーンのように、拳銃で己の頭蓋を撃ち抜くのだ。そうすれば、自分も多少なりにも無様な格好で死ぬことは避けられるだろう、とそんな何を根拠にしているのかも分からないような企てを脳裏によぎらせながら僕は自分に苦笑や嘲りを含ませた冷たい笑いを溢した。しかし、銃なんて簡単には手に入らないだろう、やっぱり飛び降りか首吊り辺りが無難だろうな、と僕は考えを改めて、そこから更に、飛び降りはきっと怖くてできないだろうから、首吊りにしようと選択肢を絞って、僕は明日の朝、首吊り自殺を決行することを決めた。
そうして考えが纏まり、ようやく今夜も瞼が重くなり眠りにつけようとした途端に、隣の部屋から、シャンシャン、という不可思議な響きの音が聞こえ、鳴り渡ってきた。僕は眠気で重い頭の中、それに耳を傾ける。その音は一向に鳴り止まず、次第に大きくなっていくようにも思えた。僕は何事だろうと思って身体を起こしたが、しかし眠気には勝てず、まあそのうちに収まるだろうなどと然程気にせずに再び布団に潜り込んで目を瞑った。しかし音はいつまでも僕の耳、そして暗くなったこの部屋に響き続けて鳴り止まなかった。遂に一時間が経過し、とうとう我慢が出来なくなった僕はなんだよ、と苛立って部屋を飛び出して、すぐさま隣の騒音の号室に向かった。
隣の号室には、灯りがこれでもかと点けに点けられており、消灯した部屋から飛び出した僕の目には眩しくて仕方がなかった。でも僕はあの騒音の正体を確かめないことには我慢がならず、おい、と夜ににつかわしくない怒鳴り声をあげて、明るい音のなる部屋に突入した。するとそこには、片手にタンバリンを掴み持ってそれを一心不乱にひたすら打ち鳴らし、陽気に踊っている女の姿があった。彼女は僕と同い年か、少し歳下に見えた。彼女は怒りに塗れる僕の姿を振り返って、タンバリンの打ち鳴らすのを止めて、きょとんと顔を不思議がるような表情に変えた。
「君か、さっきからシャンシャカシャンカと鳴らしてんのは」
僕がそう言うと、何のこと?と女はやはり不思議そうに僕を眺めて言った。
「何のこと?じゃないよ、何時だと思ってんの?夜中だよ、真、夜、中。あまりにもうるさいから止めさせにきたんだよ」
そう僕が言うと、女は何事もなかったかのように、再びタンバリンを勢いよくそしてリズミカルに打ち鳴らし始めた。おい、聞いてんのか、と僕は女のタンバリンに掴み掛かろうとした。しかし女はひらり、とそれを躱して、僕は体勢を崩してその場に横転した。
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カテゴリー: ファンタジー
投稿日時: 2025/12/15 16:33
最終編集日時: 2025/12/21 4:23
注意: この小説には性的または暴力的な表現が含まれています
アベノケイスケ
小説はジャンル問わず好きです。趣味は雑多系の猫好きリリッカー(=・ω・`)