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 ユウヤとミレイは商店街を抜けて、今夜泊まるべくホテルを探した。紅い空に浮かぶ、細い筆先から滴る橙色の絵の具に見立てられた飛行機雲の突き刺さる沈み陽がつくる夕暮れ時の淋しさが、街を包んで今にも消えようとしているように感じた。  少々塵芥の散乱が窺える通り路に出ると、そこはラブホテル街だった。フリーターのような髪を染めた若い男が何人かで歩いており、何やら喧嘩自慢のような会話をしている。下を俯いたまま何かを呟きながら手に持った文庫本を読んでいる眼鏡の陰気な暗い雰囲気の女が男のうちの一人にぶつかり、すみません、と何度も慌てて謝る。あん、なんだよ、と男は舌打ちすると女を一蹴し、仲間達と興味無さそうに何処かへ歩いていった。女は落とした本を拾うとまた同じようにぶつぶつと何かを言いながら元来た道を戻って行く。なんだか、ちょっと怖い通りだね、とミレイが言い、うん、とユウヤも頷く。駅前の大通りから離れたこのコンクリートに囲まれた裏道一帯は、治安が悪い場所らしい、とユウヤは一目見て捉えられた。ユウヤはラブホテルに来るのが人生で初めてであった為、こんな通りに足を踏み込むことは当然、まるきり免疫がなかった。ミレイが周りをきょろきょろと少し怖がるように見回して、ユウヤの肩を強く掴んだ。ユウヤはその手を優しく触れて、大丈夫ゆっくり行こ、と自身の恐怖を押し殺しながら路を歩いて行く。  更に奥の通りに入ると、そこには立ち並ぶホテル群が見え出した。もちろんビジネス業関係やカプセルホテルといった一般的なものも見られたが、それ以上に通りの少なくとも半数を、ラブホテルが占領していた。水族館を模したもの、おしゃれなナイトクラブ風な外観、ログハウス的なアティチュードのものなど、それらは各々様々な風貌だった。そして通りには、それらホテル群に挟まれて似つかわしくない出立のラーメンショップとピザのテイクアウトショップが二軒不自然に建っていた。ユウヤは思わず不思議に振り返る。一、二人の人影があった。ミレイは、ここはどう、と煉瓦造りのグリム童話に出てきそうな城型のホテルの前へ近づく。ユウヤも一緒に寄って料金表を確認すると、一名当休憩六千円、宿泊一万二千円と表記されていて、二人は息を呑んだ。こんなにするの?知らなかった、とミレイは所持金額を確認する。ユウヤも見てみるが、一万も残っていなかった。ミレイも同じで、どうしよう?とユウヤの顔を見る。仕方ないし、他に安いところ探そう、と再び二人は歩き出した。  進んでいくとやがてお洒落で大方綺麗な外装のホテル達は、少しずつ見窄らしさを垣間見せる外観の建物へと変わってゆく。それは同じラブホテルではあるものの、どこかランクが下がったような感じに見て取れて仕方なかった。しかし、二人合わせてわずか一万足らずという金欠さを考えれば、この一辺で泊まる場所を探す他無かった。二人の足取りは重くなっていた。その筈、街中を歩き回った疲労がこの日没の刻に溜まって至るのだろう。しかしそれとは反比例に、この後のセックスに向けた性の熱欲は更に昂っていくような感じがしていた。  二人は通りの殆ど終わり端と言っても良さそうな路の角で、一軒のホテルの前で立ち止まった。花まみれ、という名前らしいが、み、の部分が削失しており、立体文字の看板に凹凸ができていた。ここなら泊まれそうじゃない?ミレイと共に料金表を見てみると、休憩千五百円、宿泊三千円と記されており、十分に余裕を持って泊まれる金額が目に入った。随分安いんだね、とユウヤは言って、じゃあここにしよっか、とミレイに促すと、彼女も頷いて二人は早速中へと入っていった。隣のホテルとは距離がある場所にあり、道中にある駐車場のコンクリート塀や自販機には元々の色を埋め尽くすようにグラフィックアートが塗り潰し殴り描きされていた。どれもが汚い言葉ばかりだった。近くにある網製の塵箱に捨てられたカラースプレーの嫌な残臭が漂い、ユウヤの鼻に付着する。ユウヤは手ですぐにそれを振り払った。  ホテルの一階は、どうやら物置場になっているらしく、受付らしきものは見当たらなかった。二人は目の前の階段を登り二階へ向かう。二階へ上がると、ライトはついているものの薄暗く、がらんとした人影の一切感じられない部屋に着いた。ちょっとした古ぼけた三人掛ほどのソファがあり、その前方に受付であろうスペースが見られた。すみません、誰かいますか、とユウヤは受付の扉窓に近づいて声を掛ける。少し待つと、扉が開き、皺の入った腕が伸びて出てくる。はい、これ鍵ね、番号の部屋に入りな、と初老の女の声がする。窓にはカーテンが覆われている為、顔や姿は見えなかった。ユウヤはその鍵を受け取り、番号を確かめる。二◯三と記されており、恐らくもう一度階段を登ったところにある部屋だろうと思い、二人は更に上の階へと登った。  廊下を歩き、二◯三の部屋番号を探す。あった、とミレイが言い、ユウヤは部屋の鍵を開けた。ぎい、という軋む音が低くも甲高く響いた。不気味な雰囲気がどこか漂い、元は幽霊屋敷だったのではないかとさえ思わせる空気が建物内に蔓延っていた。果たして自分たち以外に客は居るのだろうか。靴を脱いで二人は中へと入る。部屋はそれなりに広く、特に汚れてはいなかったが、やはり通路同様暗い雰囲気があった。広さは八畳一間程で、入り口から見て北西の壁際にシーツの端が薄茶色にくすんだベッドがあった。四角い鳥籠の台座だけが切り取られ、それに布団やシーツを乗せただけの不恰好で無造作なつくりだった。部屋の明かりを点けて、二人は荷物を下ろして、ふう、と一旦息を落ち着け、ベッドに座った。部屋を見ると、壁は掠れたピンクに塗装されていて、模様などはこれといって見られなかった。テレビやステレオなどといったものはなく、小さな円台形の水色ステンドグラスと縦横70cm程の正方形のラック付きクローゼット、シャワー室にベランダと二人の座るダブルベッド、そして壁にエアコンと吊掛の時計があるだけだった。一応確かめると、ベッドの枕に埋もれていたコールボタンが見つかる。指で押し触れる部分がかなり錆び禿げていた。  じゃあ、私先入ってくるね、とミレイは言うと立ち上がり、シャワー室に向かった。しばらくしてシャワーを浴びる音が聞こえてくる。ユウヤはその間に胸の鼓動を高鳴らせ、その音を耳にしながら心待ちに部屋を眺めた。ラックの方をふと見やると、中に何か入っているのに気付く。小型の手のひらサイズのトランジスタラジオがあった。誰か、別の先客の忘れ物だろうか、ユウヤは興味本位に手に取って電源を入れてみる。すると初めのうち電波受信の準備音が幾秒か流れて、やがて放送局へと繋がった。こちらはDate Sun's、間も無く午後七時をお知らせします、と時刻アナウンスの音声が聞こえてくる。時報が鳴り終えると、明日の天気予報です、と若い女アナウンサーの声がして、天気予報のコーナーに移った。明日のY代市Y代区をはじめ中心部は、一日を通して快晴の模様ですが、正午から夜にかけて降水率がおおよそ10%程の見込みです。と話している。日本海側に狭範囲の高気圧が発生する様子ですが、基本的には明るい陽射しの差す一日となることでしょう。天気予報が終えると、続けて明日開催される他招き祭りについての告知情報が流れ始めた。日時や場所、交通規制等について話し出される。そういえば、とユウヤはそのニュースを耳にする間、今日は前夜祭があるという事を思い出した。バスルームの方を見ると、入浴音は止まり、ミレイが着替え始めている様子が伺えた。  しばらくして、下着姿のままで腕にタオルと衣服を挟んだミレイがバスルームから出てきた。おまたせ、とミレイは髪毛先や肌に僅かに水滴を拭き残したまま、ユウヤの前に近寄った。安っぽい洗剤の匂いが香る。ユウヤも早く入ってきたら、と促されて、ユウヤはバスルームに向かった。バスルームは思うほど狭くはなく、居心地は悪くなかった。シャワーを浴び、数分で下着のままの姿で部屋に戻る。ミレイがトランジスタラジオを片手に聴いていた。 「これ、ユウヤのやつ?」
アベノケイスケ
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小説はジャンル問わず好きです。趣味は雑多系の猫好きリリッカー(=・ω・`)