きっと私は大丈夫
新宿駅から歌舞伎町に向かって、徒歩10分…いや、15分。絵に描いたようなネオン街を抜けた先に、いつまでもその出立ちの変わらないコーヒーショップクールが見える。用事と云う用事が無いと来ないが、その数少ない機会の多くにその席を使う。
私は思い出の記憶を重ね合わせることが上手な人間で、何故か時折、嫌なことが重なると、「ほら、やっぱり」とまるでノストラダムスの大予言を信じていたあの頃の世間様の様に色々な事を合算して考え、振る舞い、嬉々として民に言い広める。店側にとっても、友人にとっても迷惑極まりない。それなのに、逆の立場であれば「何言ってねん」で済ませてしまったりもする。簡単な話、すぐに「ここではOOOと昔、喧嘩したからなぁ」とか「こう云う日は気を付けなければ!!!!」と「自己決定の速さ」と「信じて止まない頑固さ」が自分の熱量がバロメーターをぶっ壊わして、戦々恐々とするとこがある。
とは言え、私はこう言う迷信めいた話は嫌いではない。ただ「自己決定」までの早さと、それを信じて止まなくなってしまう頑固さは、生きる世界がネットだけの人生だったとしたなら、恐らく、何人もの人を傷付けていたであろう。本当に迷惑なやつである。大迷惑。普段からそうと云う訳ではないが、なんか取り敢えず、答えを出さないと嫌な性格なのだ。
話は戻るが、その「自己決定の速さ」と「信じて止まない頑固さ」が「場所」にタグづけされることによって、「嫌なことがあった場所」にはなるべく行かない様に筋肉に伝達するので、そのお店に極端に足を運ばなくなる。今日もそうだ。いつもここに来ると…なんて言って懸念していた。ただ、「いつもの記憶」を「その時の単色な感情」によって、いつもの頑固さは失われ、足を前に進めた。
店に入り、真ん中の席へ。火を付けた頃、携帯が鳴る。「やっぱりね」と言う言葉は脳の引き出しの一番手前に準備しておいた。そうなると気分はまるで卑弥呼様の如く、大雨を的中させようと自分も他人もまるで、自分の手駒の様に動かそうとしてしまう。本当に迷惑な脳である。本当に書いている自分も既に嫌気と疲れが見える。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2022/11/21 14:38
“Y”
喫茶店を巡りながらエッセイを書いてます。
文字をこねくり回して言葉にしてますので、宜しくお願い致します!