波打ち際で待っている

蝉の声が耳障りに響いた。 都会の蒸し暑さにねっとり絡みつくような、あのうんざりする声じゃない。潮の匂いをほんのり含んだ、力強い蝉時雨。生命力に満ちている、と言えば聞こえはいいが、要するに田舎特有の騒がしさだ。 引越しのアルバイトが汗を拭きながら、「これで全部です!」と声をかけてきた。彼らの視線の先には、築何年かもわからない、薄汚れた木造アパートが建っている。二階建てのそれは、潮風に晒され続けたせいで塗装は剥げ落ち、壁は色あせていた。窓枠は歪み、ベランダの手すりには錆が浮いている。都会の洒落たマンションに住み慣れた俺からすれば、冗談抜きでボロ屋だ。だが、人の目を気にせずひっそりと隠遁するには、むしろ俺には好都合だった。 佐々原朔、29歳。過去を振り返れば、「新世代の旗手」などともてはやされた時期もあったらしい。文壇デビュー作が異例のヒットを飛ばし、「天才現る」と騒がれたのも束の間、続く二作、三作は鳴かず飛ばず。結局、どんなに初め騒がれたところで、蓋を開けてみればこんなものだ。俺がうまく行ったのも、ただのビギナーズラックだったんだろう。 乾いた笑いが喉から漏れた。心機一転? できるわけがない。場所を変えたところで、自分の中から湧き出てくるはずの言葉が見つからなければ、何も始まらないのだ。 荷物の整理もそこそこに、俺は段ボールの山に囲まれたリビングで、持参したノートパソコンを開いた。画面には、担当編集者からの催促メール。赤い丸の小さな通知バッジが、その数の多さをやかましく主張している。 「先生、そろそろ新作の構想は?」「締切が迫っていますよ」 ここ数年で、耳にタコができるほど聞いたセリフたち。新しい環境ならば、とわずかな期待を抱いたのも束の間、キーボードを打つ指は鉛のように重かった。かつては指先から溢れ出すように言葉が紡がれていったのに、今や空白にカーソルがただ虚しく点滅しているだけだ。アイデアは霧散し、登場人物のセリフは陳腐に響き、物語の展開はどれもこれもありきたりで二番煎じなものばかり。はっきり言って、才能の枯渇ってやつだ。 ふと、窓の外に目をやった。西日が部屋の奥まで差し込み、畳に長い影を落としている。
さきち
さきち
20↓