第四章

第四章
 少女を拾って家に連れ帰ってきたその夜、ハルキは夢を見た。それはとても不思議で、今度は前に見たものよりも、より不可解な夢だった。  夢の中には、ハルキは登場せずに、彼の拾ってきた少女の姿だけが映っている。少女は、何かからひたすらに逃げるように走り続けていた。背後に迫り来る、何か、とてつもなく恐ろしいものの存在から。それが一体どういうもので、その正体がなんであるかは、夢の一部始終を描き辿ってみても、ハルキにはほとんど理解や推察することはできなかった。なぜなら、その少女が逃げ続けている対象である恐ろしい存在は、彼の夢の中では、ただの黒い霧靄、もしくは、大小姿形の様々な言葉ではどういう風にも表現をするのが難しいというべき黒い影達という姿や気配でしか登場し得ずにいたからであり、そこからその霧靄もとい影達の正体を、夢を遡って見破るのは非常に困難だった。然らば、夢は謎に包まれたまま、一向の答えを示すことなく、ハルキの目覚めとともに去っていったのであった。  ハルキは、重い目を開けて、その目を覚ました。眠りの残滓(ざんし)は深い眠気となって彼の頭を暮夜けさせて、大きな欠伸をさせた。リビングの窓の外に見える景色は、まだ仄かに薄暗さを含んでいて、夜明けの早朝の色彩を示すとともに、今のハルキの寝起きの暮夜けた意識のような、夜の残滓をまだ空に含んでいて、溶け混ざりきらない月夜と旭の明るみを徐々に照らし合わせていっているように眺められた。それから、昨夜にーー恐らくは、一晩中続いていたことだろうーー降り吹き荒んでいた吹雪は、いつの間にかすっかり止んでいて、晴れた景色は、新しい一日の幕開けを合図していた。  ハルキはようやく目をすっかり覚ますと、背伸びをしながら、ロッキンチェアを降りた。時計を確かめると、時刻はまだ朝の六時半だった。ハルキがいつも起きるのは七時頃であり、少し早いくらいの時間帯だった。ハルキは、隣横でまだ暖炉が燃えているのを確かめると、その炎の燃え具合を確かめた。山のように焚べた薪も、一晩のうちにほとんどが灰と化していて、あと数時間で全部燃え尽きてしまうだろうというように見えた。ハルキはとりあえず、ソファでまだ目を覚ましそうにない、穏やかな寝顔の少女の眠る姿を一目見やると、暖炉へ焚べる薪の準備や、それから今日の狩猟に取り掛かるべく、早速コートを羽織り、ライフルを背負って、外へと出掛けることにした。  屋外の温度は、相変わらずの肌寒さで、吐く息は白く、昨日よりも冷たさを増しているようにさえ思えた。ハルキはしかしそれでも今や慣れたその温度に身を包み、昨日の疲れと眠気がまだ幾らか残っている足取りで、雪の積もる山道へと登っていった。  今朝の山は、いつもよりも静かに感じられた。というのは、抽象的な意味でなく、具体的な意味で。普段なら、もう少し微風や、それによる葉揺れの音や、また森林中に住んでいる動物達の鳴き声や足音が聞こえてくるのであるけど、その何れもが、今朝に限ってはハルキの耳元に届くことはないように思えた。そして実際、そんな音達は山には訪れなかった。もう、既に彼等は冬眠に入ってしまったのだろうか、とハルキは思った。兎や栗鼠どころか、空を飛ぶ鳥の姿すら見えない。どうしようか、とハルキは背中に寂しげに鉄の冷たさを含むライフルの存在を感じながら、ひたすらに視線の先に歩みを進めていった。彼の地面の雪や枯れ草を踏む音だけが、今森の中には響いていた。  ハルキは、せめて、一、二匹くらいの、狸か狐でも居ないだろうか、と辺りを見まわした。それらのどっちかの毛皮さえあれば、セーターが寝巻きのひとつくらい作れるだろうと頭に狩り獲った狸や狐の姿を思い浮かべる。ハルキは、その毛皮製のセーターか寝巻きを、あの少女にプレゼントしてあげようと考えていた。そして、無意識にそんな提案を考えている自分に気付くと、ハルキは、何を柄にもないことを、と自分のアイデアを自嘲気味に小さく笑った。自分が、誰かに好かれる存在だとは、とても思えない。自分はそんな人間ではない。況してや、あんな可愛らしい少女に好意を持たれることなどは、間違っても有りはしないだろう。ハルキはそんな風に自身を評価すると、それでも、と息を吐き、山を進んだ。それでも、彼女を拾ってきたからには、俺は彼女のために何かをしてあげなければいけないんだ。ハルキはそんな彼自身の責任感に意識を向けて、再び閑散とした森林の奥地へと獲物の姿を探しに入り進んでいった。  それから小一時間ばかり、宛てのない獲物を探し続けていたハルキだったけれど、やがて全く生き物の気配が感じられず、半ば狩猟を諦めかけていたところで、今朝にみた、あの少女が何かから逃げ出している夢の光景を退屈しのぎに思い起こしていた。  夢の中では、同じく言うようにハルキが拾った少女が、何かの霧靄か影の形をした黒い存在から、必死に逃げ走っている。少女は、背後に迫るその影達に、初めてみるような驚嘆や畏怖の表情は見せずに、半ば淡々と、自分の足を駆け出すことだけに意識を向けるように、目の前を睨みつけていた。まるで、襲いかかってくる者達の正体を既に明らかに知っているかのように。少女の服装は、今彼女が身につけているような薄着のものと同じかどうかは判断できなかったけど、薄暮夜けに記憶を浮かべてみると、彼女は、もう少し厚手の衣服を身につけていたような気がした。しかし、それはハルキにとっては何ら気にするべきことではなく、彼が今気にすべきことは、その少女が逃げ続ける夢の意味するところが、果たしてどう言うものであるのか、そして、自分はこの時間帯に、山に潜む狸狐を探し当てて捕まえることができるのだろうか、という、その二点だった。だけど、少女の夢に於いては、ハルキにしてみれば他人事であり、推察の余地を遥かに越えていたために、当然その答えに辿り着くことなどは無理な事だと言えた。それからハルキは気を取り直して、夢の思い返しを停止すると、再び山中の狩猟のための探索に意識を集中させた。
阿部野ケイスケ
阿部野ケイスケ
小説はジャンル問わず好きです。趣味は雑多系の猫好きリリッカー(=・ω・`)