泥の上に立つ 最終話
「あぁ…ごめんよ。サン、すまない。ごめん。ぁぁ、糞ッ。サン…」
僕がサンを殺した。自分が生きたいがために、愛する弟を殺したんだ。嘘をついた。そして廃ビルから遠く表の通りまで逃げて来た。弟から逃げるように。現実から逃れるように。頭の中でサンの呻く声が響いて離れない。
「ごめん、ごめんよ。僕が悪いんだ。すべて僕が悪い…」
雨は未だ降り止まない。泥と化した地面の感触が、切り落とされた足の指の傷口を優しく包んでいた。通りでは、路上生活者の子供たちが雨粒と戯れ無邪気にはしゃぎまわっていた。トタンの屋根の下で寄り集まっている子供たちもいる。屋根の下の子供たちは手に握った袋で鼻を覆うようにしては、白目を剥いて躰を震わせていた。シンナーだ。四五歳程度に見える子供も混ざって一緒に吸っている。彼等はきっと、大人になるころには躰を壊して動けなくなり、腐って蛆の湧く自身の肉体を強烈に意識しながら死んでいくのだろう。突き当りには死しか待っていない。あの子供たちはその事実を知っていながら、現実に目を閉ざしている。閉ざしながらも明日を生きようとしている。あの子供たちはどうして生きるんだ。雨にはしゃぐこの子供たちはどうして生きるんだ。僕はどうして生きるんだ。僕たちが一体何をしたと言うんだろう。この悪夢はいつから始まって、そしていつ終わってくれるんだ。きっと、終わることはない。僕は唇を強く噛んだ。雨を降らしている曇天を睨んだ。腹の底から、ありったけの憎悪を、本当の絶望を叫んだ。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ…」
僕に気付いた子供たちも一緒になって空へと叫ぶ。何かに届けと、強く思った。誰かに知れろと、切に願った。この永遠に続くと思われる曇り空を貫いて、遠く、希望とやらに届けと思った。声が枯れるまで僕は叫び続けた。子供たちが僕の必死さに気味悪がり遠ざかっても叫び続けた。叫んでいるうちに、僕の躰から見えない何かが抜けていくような気がした。息を吸い、そして喉を震わせると、胸にある何か、僕の躰の中に、確かに存在する何かが、解放されていく。
サンは僕を許さない。僕に殺されたことを恨んでいるだろう。でも、それでも…
「ああ、生きたい…」
雨が引いていき、雲の間から鋭い幾筋もの光が注がれた。建物と建物の間から物乞い達が続々と這い出てきた。肌の色が違う赤ちゃんを抱いた老婆や、両足の無い男性や、鼻や耳や唇を削がれた少年たちの群れに、楽器を持った盲人。僕たちはそれでも生きていた。そしてこれからも生きていく。何のために?僕は知らない。生きていて良い理由?僕は知らない。死んで良い理由?僕は知らない。この町に納得のいく答えを持っている人間なんていないだろう。僕は呟いた。
「卑怯な兄ちゃんでごめんな、サン」
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カテゴリー: その他
投稿日時: 2024/10/22 8:35
注意: この小説には性的または暴力的な表現が含まれています
山口夏人(やまぐちなつひと)
好きな作品
「K君の昇天」梶井基次郎
「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」三島由紀夫
「狐媚記」澁澤龍彦
「阿修羅花伝」赤江瀑
「芽むしり仔撃ち」大江健三郎
「ぬばたまの」須永朝彦
「火星植物園」中井英夫
「半島を出よ」村上龍
「トビアス」山尾悠子
「獣の奏者」上橋菜穂子
「有頂天家族」森見登美彦
「宝石の国」市川春子
2005年6月11日生
ある文学賞に応募したけど、箸にも棒にもかからなかった作品を挙げてます。