僕は不幸でありたい
僕はときどき、生きる意味について考える。
駅前のドトールでアイスコーヒーを飲みながら、あるいは深夜2時の静まり返った部屋で、何も音を立てずにただ考える。
ほとんどの人は「幸せになるために生きてる」と言う。楽しく、気ままに、自分の好きなことをして過ごすために。僕もずっとそうだと思っていた。でも、最近になって、それはどうやら違うのかもしれないと思い始めている。
たとえば、普通に生きて普通に死んでいく人がいる。
テレビのバラエティ番組に笑い、週末の映画にちょっと感動し、「まあまあ幸せだよ」と呟く。彼の人生は穏やかで、傷も少ない。まるで静かな午後の海のようだ。
一方で、世界の頂点を目指す者がいる。
国を動かし、人の命運を左右し、絶えず争いの渦の中で呼吸する。彼の一日は、ほとんどが苦悩と決断と責任で埋め尽くされている。満ち足りた静寂などほとんど存在しない。一日のうち、わずか五分ほどだけ、「自分はすごい」と感じることがあるかもしれない。でも、あとの十五時間五十五分は、死ぬほどのストレスと戦い続けている。
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カテゴリー: 恋愛・青春
投稿日時: 2025/5/1 9:56
あや
短編多めです!気軽に読んでみてください
フォロー嬉しいですけど、こちらからはあんまりフォローしないと思います