取るに足らない小さなお話

 鏡を見た。  随分と曇っている。これを覗いても何もわからない。もうどれくらい自分の顔を見ていないのだろうか。鏡はいつから曇っているのだろうか。  鏡を新しくしたら、そこにはよく知る自分が映るのだろうか。それとも知らない誰かが映るのだろうか。  草をむしった。  よくもまあ、こんなところまで飛んだものだと感心する。ベランダの室外機から流れる排水からできた泥に、それは蕾をつけていた。  愛らしくもあるそれをどうしたものかと思ったが、抜くことにした。もしこの草が深く根を張れば、下の階で雨漏りでもするかもしれない。  その根は繊細で、コンクリートを些かも傷つけてはおらず、表面の泥とともに剥がれた。元のように置いてみたけれど、茎は立ち上がることはなかった。  猫が鳴いていた。  親を呼んでいるのか、けたたましいその鳴き声は、日が沈む町によく響いた。猫らしさやかわいらしさをかなぐり捨てたようなその声は、ひどく不細工だった。  悲しくなった。声は知っているのだ。その声を相手が聞いていないことを。相手が聞いているなら当然に混ざる虚飾が、その声には少しも混じっていなかった。
アムセット