波に揺られて

波に揺られて
沈む夕日に染まるこの湖面を、ゆっくりと秋風に揺られながら進んだ。しとしとと降る優しい雨と、微かに香る場違いな磯の香り。 対岸へと向かってボートを漕いだ。積まれた荷物には、結局手をつける事もなく今日は終わる。林檎、葡萄、瓶に詰められた惨めな軟水と、冷めたチェリーパイ。 かつて世話焼きな彼女と一緒に食べた、ブロンドの味。 僕の口元を布で拭って、くしゃりと笑う。温かさを纏って、心配性な僕を抱きしめては離れようとしなかった。 己の身が魔に侵されようと、離れてはくれなかった。 ボートを止め、湖面を撫でた。ひんやりとした心地と対比するようにして、彼女の温もりを探していた。場違いな磯の香りをかき消すがごとく香る、穏和な春はもう居ない。 だけど、違った。 声が聞こえた。あの優しくて、抒情歌を得意とした女のさえずりが聞こえたのだ。空の方、天高くそびえ立つあの国から。 「ラーティ。君は、僕を見捨ててはくれないのだな」 風に揺られて、波に揺られて、ボートはゆっくりと岸へ戻る。
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