タイムマシン
命が軽い
そう思い出して早2年がすぎた。
何か嫌なことがあればあー消えたい。と思うようになった。人に話したいけど、話せない。言いたいことが言えない。心の病に侵され、薬を飲むことで、命を保つ。強制的に生かされているのだ。
この2年より前は、いい人だった。いい人は、周りから慕われ、いつだって、いいやつだと褒められる。だがその真意は、自分にとって都合のいい人の略だと思うようになった。いい人が故、損なことが多い気がする。言いたいことを言わないと伝わらないという人は多いが、言った上でちゃんと聞いてくれないと思わせてるのはそちらだろう。いっぱい考えて考えて限界で、そんなことを言われてしまうともっと言わなければよかった。と自分を責めるだろう。
「ゴリッ、、」
ある日、僕の心は大きな音を立てた。現実には、音などなっていないのだろうが、心が腕のように曲がって折れたような感じがした。ズキズキと痛む。全然治らないムカムカのような、痛いようなそんな感じ。何が厄介かこいつは何度も折れる。目に見えないために、治ったか治ってないかわかんない時に、気づいたら音を立て、自分の思考を蝕み、最後には自分を責めたり、逃げたりして、なんとか耐える。
重さの表現は、心や命にはよく表現で使われることがあるだろう。たとえば先にあげた、「命が軽い」。しかし心に軽いをつけると、ポジティブな意味になる。心の負担によって、反比例するものだと思う。命の重さはその人の今の幸福度じゃないだろうか。幸福度が高いひとが命が軽いわけない。だってまだ生きたいと思うから。
こういう文を書いていることには理由がある。命を粗末に扱ってはいけない。と道徳で習っているだろうに、他人は殺してはいけないと知っているのに。自分の心は殺している。不思議なことに、この殺人は罪に問われないようだ。だからこそ、なんも感じない人も、今がめちゃくちゃ辛いことを抱えている人も知ってもらいたい。世の中には自分自身を殺して、自分が容疑者でも被害者でもある人がたくさんいることを。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2024/9/6 8:30
tacrowmal