僕の人生

僕の人生で記憶に残っているのは 九州の熊本で住んでいる所から 始まる。生まれは大阪の堺らしいけど後から聞いた話しだ。 父親と母親はお互い再婚で父方には娘が1人いてた。母方は若い時に生き別れた息子と娘が1人ずついてたらしい。こっから父親を(おとん)母親を(おかん)父親の娘を(ねぇちゃん)と表現しようと思う。記憶が始まるのはおとんがおかんに湯呑みを投げつけたところからだ。原因はわからないが泣いていた記憶がある。 次の日には新幹線に乗って2人で家を出ていた。僕が2歳のときだった。おかんの実家がある和歌山県に来たが数日でおとんが迎えに来て熊本に戻った。どうしても嫌だったみたいで家を出たいがお金もないし頼るところもない。少し時が経ち少しのお金と持てるだけの荷物で電車に乗って転々と住み込みの仕事をしつつ2人で旅をした。常にお金はない状態だった。ある日自動販売機で売ってるジュースを欲しくて叩いたらお金が落ちてきた。おかんはお金を拾い集め2人でうどんを食べた。3歳ぐらいの時だ。そんな生活をしながら結局和歌山に行くしか宛てはなくおかんの実家は無理なので天理教に世話になった。家とご飯はなんとかなったが貧乏は変わらなかった。 でも不思議な事に今思い出しても辛いとか悲しみの記憶はほとんどない。なんなら熊本に居てた時よりおかんが生き生きしてる姿を見てたからかもしれない。僕はおかんが41歳の時に生まれたからこの時でもう44歳だ。朝起きておかんが居ないから探しに5キロぐらいの初めていく天理教の施設に探しに行って驚かれたり下に落ちた食べ物を粗末にしない様に食べたりしていた。おかんには落ちた食べ物は食べなくていいって逆に怒られた。そんな生活も1年ぐらいで誰かから聞いたのか母と子供だけ住める母子寮(ぼしりょう)と言う施設があると言うので和歌山の九度山の施設でお世話にになる。 ここからが僕の長い人生の始まりだ。
ひでぶ
ひでぶ
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