第4回NSS 毒林檎と初恋

第4回NSS   毒林檎と初恋
文化祭を目前にした放課後、空き教室だけはなぜか時間が緩やかに流れていた。湿った空気。ふと彼が言った。 「こういうの、毒林檎って言うんだろうな」 相変わらず意味は教えてくれない。でも、その言葉が不思議としっくりくる瞬間を私は知っていた。例えば彼が笑うとき。優しさの奥に少し距離を感じるあの笑い方。彼はよく嘘をついた。でも嫌いにはなれなかった。その曖昧さに触れていると、自分が溶けていくようで心地よかった。 冬の気配が近づいた頃、彼は言った。 「俺、春になったらいなくなるよ」 卒業式の前日、空っぽの教室で彼と話した。彼は窓を開けながら何かを言いかけてやめ、結局背を向けた。 呼べばきっと振り返る。 でもそれをしたら、何かが変わってしまう気がした。彼が去った後に残ったのは、開いたままの窓と、かすかな甘い匂い。私はその場から動けなかった。 今でも思い出すたび胸の奥が疼く。彼がいなければ今の私はいないのかもしれない。彼の言っていた「毒林檎」はきっと形のないもの。甘くて少し痛くて、すべてを差し出せば戻れなくなるもの。結局私は最後まで口にしなかった。だから今も、その味を知らないまま、時折思い出してしまう。
叶夢 衣緒。/海月様の猫
叶夢 衣緒。/海月様の猫
綺麗事が救いにならない夜の話。 正しさに置いていかれた感情と、 救われなかった青春の残骸。 優しい言葉ほど、いちばん痛い。 2023年 2月27日start 3月3日初投稿