情景
ー十月十五日/地球では無い何処かを求めてー
私はふと思ったんだ。「此処は一体、何処なんだ?」重く真っ暗な瞼を私は開けた。空白の画用紙が眼の前にあると、思わず感じ取ってしまう様な光景だった。気づけば私は、知らない世界に立ち尽くしていた。何時から居たのか分からず、只々動揺していた。だがしかし、同時に安心した私が居た。私の知らない間に笑みを浮かべていた。何に対して、安心したことは確かだ。其れは何か、此処が地球だったからだ。私達(多様な生物や物質)が生まれた此の小さな惑星“地球”。安心した訳はと言えば、別次元じゃ無かったからである。私は宇宙人の中の、人間と言うものに分類されており、地球に生息している。彼方のものたちから見れば、宇宙さえも、別次元だ。そうして他者の見方をすれば、新しく物事が理解できたり、又、別の視点で物事を考えることが出来る。其れを行うことによって又一つ、知識や私達の手札にある、言葉の数が増える。知識や言葉の数が増えると、何かと便利だ。大人にでもなった様な気、さえもして来る。決して、そうでは無いと言うのに。きっと大人達はこう思うだろう。“若者は良いね。恋愛や友人との会話や、希望に満ち溢れ将来の成功を夢見る日々だよ。”だと。其の考えは一理ある。確かにそうだ。私の周りに居る若者は、将来への夢や希望に満ち溢れている。将来への不安を抱えていたりもする。そう言った考えを持つ大人達が私は大っ嫌いだ。極一部の若者は、そうでは無い。その者達には、未来が無い。私と同様に。其れは何故か。何故その様な酷いことを言うのか。未来は誰にも分かりはしない、と言う考えが正に、普遍的と言うのだろう。だが其れは間違いである。未来は誰にも分かりはしない、と言う見方でいくのであれば、未来が無いことも有り得るのではないだろうか。勘違いをどうか、しないで欲しい。私は杓子定規で無ければ、是々非々主義でも無い。裏腹に、四角四面でも無い。物事の一つ一つが異なっている様に、私達は一存だ。そして、真面目に生きている。真面目すぎる程に。極一部の若者は、判で押したような日々を送っている。其の者達には、若者と異なる部分が有る。言葉の選び方、使い方や考え方、捉え方だ。普遍的に言えば、其れは、異常者だ。”異常者“何て言葉は不要だと、私は思うがな。そもそも、異常者だと言う基準や“異常者”だと決めつけ、他の人達と区別することは余りにも可笑しな話だ。此の世界には、可笑しな話(や言葉)が他にも多々ある。正に“普遍的”や“正常”もそうだよ。しかしながら、此の様な話に、気付かなぬ者が中には沢山居る。此の言葉達は私達が創り上げて来たと言うのに。私は思う。物事を区別することはとても大切で重要だ。其の方が便利で、使い勝手が良い。だがしかしながら、先程述べた様に、可笑しな話しを何時迄もすることは可笑しい。
他の言葉を新たに創るかそれ以外か。まるで、ローランドの名台詞だ。
ー十一月二十五日/孤独ー
人間が一番恐れているのは、孤独だとよく聴くが、実際にそうであろうか。私は孤独を恐れて何ていない。むしろ、孤独が好きだ。一人の時間を大切に過ごせる、と言った様な無謀な考え方では決してない。人間は孤独に慣れる時、“無”になる。何も考えることができず、喜怒哀楽を感じることができない。“考える気力”と言う言葉さえも頭に無い。頭の中は常に、闇に侵食されている。真実の“無”だ。できることならば、今すぐに、孤独になりたいよ。無に少しでも近づきたく思う。そしたら、こうして、文章に書くことも無くなり、喜怒哀楽を感じなくなってしまう訳だから、欲望もプライドも絶望も希望も将来も不安も光も闇も、何も無い。待つのは“死”のみだ。つまりは孤独−無=死、と言うことになる。此処で言った様に、私達には未来が無い。其れは、私達が将来、生きている世界を想像できないからだ。もうどんどん、死に近づいている様な気がしてたまらない。何時死ぬのか分からない。早く、此の世界から消えてなくなりたい。私が生きていたと言う存在を人々の頭の中から、消し去りたい。仮に私が、此の世界に生きると言う選択肢を選んだとしても。もうどうやって生きていけば良いのか、分からない。生き方が分からない。もう全てを此の世界に置いてきた。
何一つ、失うもの(大切なもの)何て有りはしない。有ったら困る。何故ならば、死ねないからだ。人間は、失うものが有っては、サッパリ死ねない生き物なのだよ。流石に私も、地縛霊や何かになり、恨みを晴らすことは望んでいない。幾ら、此の世界に、憎しみや葛藤を抱いていたとしてもだ。地縛霊か何かになった時、死んでも又、此の世界に存在することになる。そんなのはごめんだよ。だから此れを読んでいる諸君、私をどうか、忘れておくれ。諸君の記憶の中に私は居たくはない。とても自分勝手だ。分かっているよ。ずっと前からね。どうやら、私は人間を好きにはなれなくなってしまったみたいだ。家族を大切にしない人間は、何処も受け入れてはくれない。そう、私の知らない誰かが言っていたよ。受け入れて欲しい訳では、決して無い。むしろ、受け入れないでくれ。受け入れ方にもよるが、正直言って、気持ち悪く感じてしまうのだ。人間同士が、同じ世界で、仲良く生きていくことが。家族、何て聞いただけも吐き気がする。堅苦しい。気色の悪い。私の口からももう二度と、言いたくは無い。友達、は又別だが。私は人間として、アイツらが嫌いだ。大嫌いだ。今まで、私の苦労も知らずに。私の気持ちにも気づかずに。此れは人間に対しての怒りでも有る。お前達は一体、何をしていたんだ。と問いただしたい気持ちが山程ある。もし仮に、気づいているのだとすれば、何も言わないでくれ。行動にも移さずに。私のことを、“透明人間”として見てくれ。見るも何も、“透明人間”だがな。(笑)
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2024/8/10 4:40
黒崎舞
よろしくです🫧🐨🖤
髪よ伸びろぉおおぉぉおおぉぉお!