黒崎舞
5 件の小説全国のヲタクよ、想いのまま叫べ
推しへ向かって叫べぇぇぇぇぇエ!!!!!! どうか、明日も生きててくれ……┏┛墓┗┓ 我の魂が果てる限り、 一億光年でも推ささせて下せー🥹💖🫶🏻
言えたらな…
好きな物は好き、って言えたらな… 好きな人を周りの目を気にせず、好きで居れたらな… 環境のせいばかりにしてしまう私には、言えない。 好きな事を好き、って言っても良いですか? 素直な人に成りたいな、
Love So Sweet(替え歌)byコムドット
転校生は期待値高い《輝いたのは鏡でも》 こんなはずじゃ無かったのに《太陽でもなくて》 イケメンの隣に座らされる《君だと気づいた時から》 あれこれ運命かもしれない《あの涙ぐむ雲の上には》 ドキドキしたあの初日《微笑む月》 ああもう思い出したくない《Love Story また一つ》 私の膝小僧の毛が落ちまくってる《傷ついた夢は 昨日の彼方へ》 イケメンそれ見て拾ってくれる《空に響け 愛の歌》 (サビ) 左イケメンで右はブサイク《思い出 ずっと ずっと 忘れない空》 前長身 後ろチビデブ《二人が離れていっても》 斜め前に教頭 斜め後ろに校長《こんな好きな人に 出逢う季節 二度とない》 上の階デブ落ちてくる《光ってもっと最高のRady》 下の階は相撲部《きっと そっと 想い届く》 廊下を見てみたら 朝青龍《信じることが全て Love So Sweet》 wow×4 yeah yeah yeah!
家出少女
ー退屈凌ぎにー 樹が硝子の奥で一つの光に照らされている。そして静かに靡いている。私にはこの穏やかな日々が、焦らしてくるように思う。葉の揺れる音が、悪魔が囁いているように思う。「お主、まだ生きておったか。」 まだ…そうか、そうだね、、 まだ生きるのか。何時やって来るのだろうか。そういった物は、彼処側からやって来ない物なのだろうか。いや、必ずやって来る。誰しもが一度は経験する事だ。私に順番が回って来ないだけなのだ。そう思いたい所存である。 そうしましたら、気晴らしとして、何時もの席に行きましょう。きっと慣れて来ます。そう思いながら日々を過ごしていた私には、孤独で有る事が丁度良かったのです。そうして居たかったのです。出来るだけ延長は避けたかった。だが、避ける訳には行かなかったのです。此の日々を過ごして行くにあたって、生きる事への好奇心を抑える事は出来ませんでした。故に、生きる事への好奇心を無くしたいと願うようになりました。其の為にはまず、大切な物を完全に捨てる必要が有った。大切な物が有れば、其の事に執着してしまい、執着すればする程、目標や夢と云う切望が増えていく物です。そうすれば、生きて行く事が意味有るように感じる。其のような幻を見せつけられたら困るのです。様々な事に眼が眩んでしまうではないか。そうすれば、何時かどん底に落とされた時、人間と云う物は酷く絶望する。 ー虚しく切実な日々ー 此の世で一番に難しい事は、人を愛す事だと私は思う。自分では上手く表現したつもりであっても、相手からすれば、其れはとても不器用な物だ。完全に人を愛す事は難しいのです。どうやれば伝えられるでしょうか。格段、声が届かぬ、届いているのかも分からぬ相手にどうやって伝えようか。どんな言葉を云っても、何か足りない気がするのである。簡単な言葉では何か物足りぬ。単純では無い、何かが必要です。そうでなければ壊れてしまう。もう壊れそうだ。どんな言葉であっても、満たされぬ。好きです。好きだよ。大好き。堪らないくらい好きだ。愛している。駄目だ、どれも駄目だ。愛する人は表現出来やしない。此の世に存在する言葉では限界が有る。ですから人は彷徨い続け、放浪者となります。目的が無い何処かへ。君の幸せには途方もくれない涙が有る。其の涙を掬うのはきっと、君が理想とする理解者であろう。唯一の理解者にならねば。何度生まれ変わっても、私は君を探し出します。時代も年齢も思考も異なる君を思って。何時か共に笑い合いたいのです。君の隣に居たいのです。私には其れだけで十分なのだ。私の隣で微笑む君は、どんな顔をしているのだろうか。君の隣で微笑む私は、どんな顔をしているのだろうか。決して結ばれる事のない君と私。此処ではない世界で君と出会えたら、どんな話をしようか。誰にも邪魔される事のない、二人だけの世界で。全てを捨てて逃げ出そう。君となら何処へだって行きましょう。君の為に全てを捨てて逃げよう。私の為に全てを捨てて逃げようとする君は、とても愛おしい。そうして共に行こう、空白の頁へと。 ー私の名ー 今夜は何時もより寂しく感じられました。暗く殺風景な部屋の片隅で、私は横になったのです。棺にでも入った気分だ。いっその事、入ってしまおうか。 死神よ。早急に救い出しておくれ。どうか、どうかお願いだ。君に逢いたい。君で無ければ、私の孤独は埋めれぬ。やはり、愛は愛で埋めなければ。君に触れるだけで良いのだ。其れだけで私は、忽ち解放されていく。其の声が聞きたい。其の肌の温もりを感じたい。其の髪に触れたい。喜怒哀楽の有る、君の表情をずっと眺めていたい。私に向かって微笑む、君の姿が見たい。生涯が尽きた後も共に居たい。此のような事は久しぶりだ。如何にも変な感情だ。此のような感情は初めてだ。君の事が愛おしくて堪らない。君の出すオーラが好きだ。君の思考が好きだ。其の仕草が好きだ。誰かに向けられている目線が好きだ。君の話し方が好きだ。君の全てが好きだ。君の事を私はあの方より、理解する事は出来ない。君の全てを知る事は、誰にも出来まい。またと無いくらいに君を愛している。けれども、私には手が届きそうにない。其れでは、私が出来る事をしよう。君に愛される為に。君の理解者になれるのであれば、どんな事だってしよう。愛を伝えられぬ者には孤独を感じる。其の孤独が有るから、何をしても満たされぬ。だが人情を持ってもしても、邪魔なだけである。だから人は其の道を選ぶのではないか。物事には必ず、其れ相応の代償が有る物だ。其れを払わなくては、生きてゆけぬ。其れは、存在していなくとも同じ事だ。其れが人間の宿命と云う物である。其れに耐えられぬから、人は神に委ねる。お願い致します。神様、女神様、仏様、天使様、全ての神々よ。どうか、どうか私の先導者となっておくれ。 ーサヨナラ・グンナイー 私は何処かのテロ少年、麻薬販売人とは違う。其の者には無い、何かを抱いている。きっと誰にでも有るような、そうも思えるような事も有る。何事にも慎重に、かつ素早く。スパイのように軽やかに。私はそうで在りたい。何方かに情報提供をし、私が在る限り、其の世界を実現する事は決してないのだ。 ー最低最悪の生物ー 美しく潤う其の瞳に映らぬ私は、もうどうする事もできない。恋人すら信用ならぬ人には、暗号を解読する事に専念する。偽名が有れば安心できる程なのだろう。完璧な変装をし、幾つ物パスポートを持っている。誰しもが弱みを持ち、其の弱みを打ち明けられた時、何かに利用された時、自らに恐ろしい悲劇が訪れる。其れが今夜だとすれば、どれ程幸福か。私には、想像ができない。厳重な警備を気楽に破り、其の空気を一変憑依させるような、何かがソコには在る。正に、憑依されたとまで疑う。運動能力が失われ、運動失調を犯し、協調運動が障害され、介助無しでは起立できなくなる。雨が屋根に優しく触れば、ポツポツ鳴るが、雨が屋根に強く当たれば、カツカツと鳴る。此の世(夜)は、優しく触れる事が重要なのだ。けれども、其の雨に滑れば大惨事と成る。人生最大の悲劇とは其の事だろう。けれど、私は其れ程まで体感が強くない。ですから''異例''なのです。暗号を解読する事に専念せず、恋人すらも信用せぬ。任務失敗し、刃物を机に垂直に突き刺さった時のように、激しく鼓動が鳴る。 ー新たなる世界へー 又、異なる自分に行きたくなるような世界へ、私は行きたい。息詰まる事が有れば、音に身を任せる。音を聴けば、身が弾む。聖書や教科書にも、何処にも載っていない世界へ、私は行く。法律に定められている物を、此処へ置き去りにし、新しい心を持ってゆく。愛する人へ逢いにゆくのだ。奇術師(マジシャン)の持つ魔法の力と、少年少女が持つ好奇心を持ち合わせてゆく。時には、野球球児が持つ''青春に全力を注ぎ、勇気や根気強い姿勢''も忘れずに。大統領は、気づけば、国を動かしている。政治も人も動いている。全てが終わるまで内密にし、任務を終わらす其の姿は、物語の主人公のようだった。未だ、誰も全てを知らない。何れは死す事も、神の法律も。時間が誰によって動かされているのかも。ユダは本当の裏切り者なのかも。全てを知る事は、神でさえ禁じられている。 ー代理人ー そう云った私は、誘拐犯に似ている。愛する人を呼び捨てで呼べぬ私は、臆病者にも思える。悪事が公になろうと、愛する人を殺されようと変わらぬ私は、冒険者でも在る。何かを変えようとする力が在れば、何処へだってゆける。眼の前で殺され、尽きてゆく恋人。其の姿は見事なまでに、悲惨だった。或る意味、「冷戦だった」と云えるであろう。事故が発生する時には、意図的な作が有ると思い込む。裏の世界へ飛び込む時には、冒険者を必要とする。未来を取り戻す時には、臆病者を必要とする。一見、何方も必要とせず、主人公が重要だとも思える。ですから、どんな力であっても、用途を変えれば代理が要る。其れは即ち、誰にでも役割を果たせると云う事でもあろう。自分が居ても居なくとも、此の世変わらぬ。何方にせよ、大した差はないのだ。 ー再夜ー 何処かの王様が呟きました。「此れ程までに美しい夜は見たことが無い、是非とも皆さんで晩餐を開こうではありませんか。」一人の老人が呟きました。「其方のお兄さん、新聞を買ってくれますでしょうか?」今宵も誰かが好いたらしい言葉を吐き、其の又誰かが悲嘆している。やはり、どんなに美しい絵にも陰影が潜んでいるものだ。此の世界では、どうせ全て塵に帰る。けれども、其の事さえ、美しいと思う人間が居るようです。其の考えには至りませんでした。私は其れだから、此の世界は気に入らないのです。人間という物は、人情まみれた現実世界に長く滞在すると、息苦しくなるものなのです。その故、非現実的な世界に人は惹かれます。そうして知らぬ間に、自ら其方へ向かっている。そうして誰も居なくなった世界に、ただ一人取り残される。此れが孤独と云う物です。そう云う者には、何を云っても振り向かぬ。手を差し出しても不可能である。鮮明に記録されている目標、というのが其の者には有る。其れを一直線に進んで行く。そう云った人は、徐々に此方側へと近づいて行く。そうして、何時の間にか居なくなっているものです。「誰が置いて来たのだ?私、私なのです。」
情景
ー十月十五日/地球では無い何処かを求めてー 私はふと思ったんだ。「此処は一体、何処なんだ?」重く真っ暗な瞼を私は開けた。空白の画用紙が眼の前にあると、思わず感じ取ってしまう様な光景だった。気づけば私は、知らない世界に立ち尽くしていた。何時から居たのか分からず、只々動揺していた。だがしかし、同時に安心した私が居た。私の知らない間に笑みを浮かべていた。何に対して、安心したことは確かだ。其れは何か、此処が地球だったからだ。私達(多様な生物や物質)が生まれた此の小さな惑星“地球”。安心した訳はと言えば、別次元じゃ無かったからである。私は宇宙人の中の、人間と言うものに分類されており、地球に生息している。彼方のものたちから見れば、宇宙さえも、別次元だ。そうして他者の見方をすれば、新しく物事が理解できたり、又、別の視点で物事を考えることが出来る。其れを行うことによって又一つ、知識や私達の手札にある、言葉の数が増える。知識や言葉の数が増えると、何かと便利だ。大人にでもなった様な気、さえもして来る。決して、そうでは無いと言うのに。きっと大人達はこう思うだろう。“若者は良いね。恋愛や友人との会話や、希望に満ち溢れ将来の成功を夢見る日々だよ。”だと。其の考えは一理ある。確かにそうだ。私の周りに居る若者は、将来への夢や希望に満ち溢れている。将来への不安を抱えていたりもする。そう言った考えを持つ大人達が私は大っ嫌いだ。極一部の若者は、そうでは無い。その者達には、未来が無い。私と同様に。其れは何故か。何故その様な酷いことを言うのか。未来は誰にも分かりはしない、と言う考えが正に、普遍的と言うのだろう。だが其れは間違いである。未来は誰にも分かりはしない、と言う見方でいくのであれば、未来が無いことも有り得るのではないだろうか。勘違いをどうか、しないで欲しい。私は杓子定規で無ければ、是々非々主義でも無い。裏腹に、四角四面でも無い。物事の一つ一つが異なっている様に、私達は一存だ。そして、真面目に生きている。真面目すぎる程に。極一部の若者は、判で押したような日々を送っている。其の者達には、若者と異なる部分が有る。言葉の選び方、使い方や考え方、捉え方だ。普遍的に言えば、其れは、異常者だ。”異常者“何て言葉は不要だと、私は思うがな。そもそも、異常者だと言う基準や“異常者”だと決めつけ、他の人達と区別することは余りにも可笑しな話だ。此の世界には、可笑しな話(や言葉)が他にも多々ある。正に“普遍的”や“正常”もそうだよ。しかしながら、此の様な話に、気付かなぬ者が中には沢山居る。此の言葉達は私達が創り上げて来たと言うのに。私は思う。物事を区別することはとても大切で重要だ。其の方が便利で、使い勝手が良い。だがしかしながら、先程述べた様に、可笑しな話しを何時迄もすることは可笑しい。 他の言葉を新たに創るかそれ以外か。まるで、ローランドの名台詞だ。 ー十一月二十五日/孤独ー 人間が一番恐れているのは、孤独だとよく聴くが、実際にそうであろうか。私は孤独を恐れて何ていない。むしろ、孤独が好きだ。一人の時間を大切に過ごせる、と言った様な無謀な考え方では決してない。人間は孤独に慣れる時、“無”になる。何も考えることができず、喜怒哀楽を感じることができない。“考える気力”と言う言葉さえも頭に無い。頭の中は常に、闇に侵食されている。真実の“無”だ。できることならば、今すぐに、孤独になりたいよ。無に少しでも近づきたく思う。そしたら、こうして、文章に書くことも無くなり、喜怒哀楽を感じなくなってしまう訳だから、欲望もプライドも絶望も希望も将来も不安も光も闇も、何も無い。待つのは“死”のみだ。つまりは孤独−無=死、と言うことになる。此処で言った様に、私達には未来が無い。其れは、私達が将来、生きている世界を想像できないからだ。もうどんどん、死に近づいている様な気がしてたまらない。何時死ぬのか分からない。早く、此の世界から消えてなくなりたい。私が生きていたと言う存在を人々の頭の中から、消し去りたい。仮に私が、此の世界に生きると言う選択肢を選んだとしても。もうどうやって生きていけば良いのか、分からない。生き方が分からない。もう全てを此の世界に置いてきた。 何一つ、失うもの(大切なもの)何て有りはしない。有ったら困る。何故ならば、死ねないからだ。人間は、失うものが有っては、サッパリ死ねない生き物なのだよ。流石に私も、地縛霊や何かになり、恨みを晴らすことは望んでいない。幾ら、此の世界に、憎しみや葛藤を抱いていたとしてもだ。地縛霊か何かになった時、死んでも又、此の世界に存在することになる。そんなのはごめんだよ。だから此れを読んでいる諸君、私をどうか、忘れておくれ。諸君の記憶の中に私は居たくはない。とても自分勝手だ。分かっているよ。ずっと前からね。どうやら、私は人間を好きにはなれなくなってしまったみたいだ。家族を大切にしない人間は、何処も受け入れてはくれない。そう、私の知らない誰かが言っていたよ。受け入れて欲しい訳では、決して無い。むしろ、受け入れないでくれ。受け入れ方にもよるが、正直言って、気持ち悪く感じてしまうのだ。人間同士が、同じ世界で、仲良く生きていくことが。家族、何て聞いただけも吐き気がする。堅苦しい。気色の悪い。私の口からももう二度と、言いたくは無い。友達、は又別だが。私は人間として、アイツらが嫌いだ。大嫌いだ。今まで、私の苦労も知らずに。私の気持ちにも気づかずに。此れは人間に対しての怒りでも有る。お前達は一体、何をしていたんだ。と問いただしたい気持ちが山程ある。もし仮に、気づいているのだとすれば、何も言わないでくれ。行動にも移さずに。私のことを、“透明人間”として見てくれ。見るも何も、“透明人間”だがな。(笑) ー十二月三十日/誰だって良いー 人間とは一体、誰だ¿人間とは、哺乳類に分類される生物だ。私欲と嫌悪、畏敬、焦慮、懐旧、賞賛の感情に左右されている、とても醜い生き物だよ。そんな感情は、捨ててしまえばいい。そんな感情を持っていては、快楽には近づかぬ。人間は快楽と好意だけを、持っていれば良いのだ。此処に書き込まれている、“孤独”もそのうちの感情の一つに過ぎない。私は今正に、三大感情の無価値観を持っているのだよ。諸君は聞いたことがあるのだろうか。人間に感情がある理由、を。幸いにも、心を備える一人一人の心に、対して、其の心に属する、生物の生命の状態を知らせる為だとGoogle先生は言っていた。感情は生物の内部の生命の状態について情報を集める、と。実際に、イギリスの文豪であるウィリアム・シェークスピアは「人間は感情の動物だ。」と評している。確かにそうだと、私も思う。ならば私は、感情何てものは不必要だ。人間何かには、なりたく無い。人間は感情の動物なのだから。だから私は、人間が大っ嫌いだ。実際に、ウィリアム・シェークスピアが書いた本、ハムレットでは、「生きるべきか、死ぬべきか、其れが問題だ。」と言う台詞がある。此の台詞には、人間としてあるべき生き方を問う普遍的な意味が込められている。ハムレットの最後の結末は、全て運命に任せようと言う悟りの意地に至った。人間になどなりたく無い私には、此の台詞に感心を持つことはできない。だがしかし、ウィリアム・シェークスピアの「人間は感情の動物だ。」と言う台詞には、とても共感したよ。私が今後死ぬとするのなら、それは他殺では無く、自殺だ。文豪である太宰治や芥川龍之介も自殺で亡くなっているのだから。私は、他殺で人生を終わりにしたく無い。人生とは、自分で選択をし、歩いてゆくものである。其の人生の終わりを、他人に決められては困る。それと後もう一つ、ダサいだろ?(笑)私はカッコよく清く、誰にも迷惑かけずに死にたいのだ。私にも、理想は有る。入水か首吊りか飛び降りだ。最も素敵で安易な自殺方法だよ。此の方法なら、苦しまず痛みを感じること無く、死ぬことができる。後ろ向きで重力に身を任せる様に、飛び降りてしまえば、即死だ。後頭部からいくと特にね。勿論、顔からいくことは嫌だ。入水や首吊りを苦しい、と勘違いしてしまった諸君。其れは間違っているよ。何故なら人間は死ぬ時に、快楽を感じてしまう生き物だ。仮に苦しみを感じることが有ったとしても、人間は時に狂う。苦しみさえも、快楽と感じる。人間は狂人に教わるべきだよ。狂人にならなければ、上手くやっていけない。其れが此の世界だ。皆んな、狂うべきなんだ。そうすれば皆んな、気休めができる。だからと言って、ドグラマグラを読む諸君は、もう狂人だよ。普遍的な考えを持つ人は、そもそも、狂人になりたくてドグラマグラなどを読む訳ではない。内容がどんなものなのか、本当に精神状態が可笑しくなってしまうのか、と言う理由で手に取ることは正常では、決してない。そうさ正常でなくて通常でなくて良いのだ。 ー一月五日/風が吹いているー 風が強く吹く様に、此の世界は進んでいく。まるで一本の動画を、早送りしたみたいだ。夜景でさえ、イルミネーションに見える。とても不快だ。こんな世界の中で私は、息をしている。望むことは、此のまま、夜が明けないことだ。一度でも良い。白夜を見てみたいよ。其処から見える景色は、どんな雰囲気でオーラを放っているのだろうか。見当もつかない。其れはそうだ。私は、朝が来る所で育ってきたのだから。綺麗、美しい、と言う単語で此の気持ちを満たすことはできない。幾ら景色が美しくとも、私にとったら無意味に近い。下を見れば、ゴミの山だ。それも、燃えるゴミの現代の景色なんぞ。人間もそうだ。人間の恋愛話や記憶は、偽りだ。自分で、話しを勝手に盛る。人間というのは、そう言う生き物なのだ。だから私は、景色を綺麗と思わない。そんなことを思っていても、仕方がない。只、画用紙に色がついただけだと、思い込めば良い。何も残っちゃいない、真っ白な世界に、行ってみたいよ。其処にずっと居たら、どんな感情が湧いてくるのだろうか。其の世界に、終わりは有るのだろうか。もし、有ったとしても、私は其処に行きたい。どうすれば行けるのだろうか。分かっていることは、此の世界と其の世界が交わる場所に行けば良い。とても簡単な話である。問題は、其の場所が分からないことだ。其の世界の住民が、私を連れて行ってはくれないだろうか。有り得るはずのない妄想を繰り広げていく。其れが私の居場所を作るにおいて、最も良い方法だ。私は、死を楽しみにして生きている人間だ。死を待ち侘びている。早く、死神に逢えないだろうか。私を死に導いてくれる“救世主“。其れか、君が私の死神になってくれると助かるのだが…。其れは良い!好都合だよ。流石、私だね。とても楽しみにしているよ。君と心中できる日を。是非とも、君の理想の自殺方法を教えておくれ。少しでも君の案に、沿う様に努力するよ。其の代わり、怖くなって逃げることは許さない。此れは第一条件だ。誰においてもそうだが。ある友達が、未だ潮時じゃ無い、と言ったものでね。本当に困るよ。今死なずに、何時死ぬんだい?此のまま、長く生きれば生きる程、苦しいだけだよ。其れをあの人間は分かっていない。あんなに、乗る気だったじゃないか。誰か一緒に、手を取り合って壊れないか? ー三月三十一日/生き霊ー 呼吸をしている時、私は胸に手を当てることが有る。生存確認だ。ドクドクドクドク、常に同じテンポで鳴っている。心臓の音が感じられない時には、生きている抜け殻では無いのか、と疑うことが有る。私自身、生きている感じがしないのだ。身体は動いているが、心は死んでいる。そんな感じなのだ。そしてある時、胸に手を当てると、生きていることを実感して、死ぬことが恐ろしくなる。だから私は、生存確認をする時にだけ、当てている。そうすると、困るのだ。死ねなくなるではないか。結果的にあの子も、死ぬことを目の当たりにして、怖くなっただけだ。はぁ、くだらない。所詮、人間は皆そうだ。あんなに、念入りに計画したのに。未だ、生きている意味を掴めない。けれど、少し、生きてみても良いかも知れないと思う、私が居る。今、此の感情に、左右されている。早く決断を下さなくては。本当に死ねなくなる。あの時は、全く怖く何て無かった。何時でも死ぬことができた。つまり、何時何時死んでも良かった。死ぬ準備ができていた。だが今は、未だもう少し、待っても良いんじゃ無いか、と思う。余り、死に急ぐ方法は気に食わない。そんな心の持ち方をしたら、いざ、死ぬ時になったら必ず、中断するだろう。そうなったら又、時間を置くことになる。そんなのは、嫌だ。だがしかし、このまま生きてみても良い。諸君の笑顔を見る度、此の心が虚しくなっていくのなら。もう少しだけ、もう少しだけ、楽しんでみよう。いつか終わる此の世界にさよならを告げてね。そして又、何時もと変わらない、朝が来るんだ。