「今どき」さんと「イマドキ」さん。
「今どき」さんと「イマドキ」さん。
人は時に「時代」に照準を合わせた感性で戦いたい時がある。その時、自分の感性をここぞと言わんばかりに放出するが、これは一種のギャンブルの様なものだとだと思っている。一か八かの勝負。
持っている情報が、「昔」が「今」を越える「腹を括って時間を止めた」状態、若しくは「今!今今今!と言わんばかりの鮮度の高さが高い」状態、のどちらかであれば、「NOW」が相手の懐に入り込み、身体中をシビれさせ、「イマドキ」メダルが溢れんばかり落ちてくる。ただ、その「NOW」が相手の懐に入れなかった場合、音数が少ないからこそ自由に全ての感情をメロディックに浴びせる事ができる「はぁ」の、諦めから来る活力なき一番ダメージの高い「はぁ。。」に精神を削られ「失敗」に蝕まれる結果となる。このギャンブルは「母親の揺るがない価値観を変える」と同じベクトルで難しい。母親ほど自分の「固定概念」を信じて止まない生き物はおらず、その「固定概念」は毎秒強くなり、その固定概念から形成される「価値観」はダイヤモンドより硬く、その強度の高い母親から放たれる嫌悪感ほど窮屈なものも無い。ただ、みんな「心の中に小さなオカン」を育っているのも事実で、みんな平等にオカンである。
(全然関係ないけど、後半の文章を読み直して、自給自足でお腹を抱えて笑うのを我慢して、喫茶店で二つの意味でカタカタしながらキーボードを打っている。)(天才かと思った。)(書き進めて、もっかい読んだけど、そこまでじゃなかった。はしゃいでごめん。)(そんなことはどうでも良くて、)
情報発信者として「今」や「昔」を使ったテーマは難し過ぎるし、ギャンブルである。しかも、「比較」や「当時(今)を慈しむ」とかそんなに深いテーマでは無い。「いまどき」が100来る。受ける側によって変化する「今どき」と「イマドキ」は、通常、空気感とともに、発言者の対応が大きく変わる。ただ、ここは一方的に情報を投げ、受け手の反応をすぐには受けない場所である。それがインターネット。ただ、今!私は今!大きい文字で「今」と「昔」を使った発言を言いたい(書きたい)。一か八か。私は普段、ギャンブルをしない。運に身を任せるよりもコツコツ動く方が好き派だからだ。ギャンブルが嫌いとか否定したいという訳ではなく、ナチュラルにジッとできないやつなんだと言う印象を持って欲しいの方が近い。前述した様に、要約すると普段はギャンブルをしないが嫌いでは無い。故にたまには運に身を任せたい。成功確率としては五分五分だろう。離れるか留まるかの二択だし。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2022/11/18 14:17
“Y”
喫茶店を巡りながらエッセイを書いてます。
文字をこねくり回して言葉にしてますので、宜しくお願い致します!