ラストラン

 男はとめどなく痛み続ける右足をかばい歩いていた。たばこを吸うために家から100キロ以上車を走らせてきた。なんてことはないただのつり橋だ。だが男にとって妻との思い出は格別だ。痛みを伴うたばこを吸うのにこれ以上の場所は無かった。  映画で見たような夕暮れにこれから吸うたばこの火が重なり、鼓動を早める。血圧を気にしなければと散々言われていたが、もういいだろう。うっすら思い出しそうになったイメージを振り払う。今は感傷に浸っている場合ではない。  砂利道を抜けて橋の麓まで着いた。アベックが反対側で写真を撮り終わり夕闇に消えていくところだ。震える足を一歩踏み出したとき、気力が戻るのを感じた。軋む板を踏みしめ中ほどまで辿り着き、潰れかけの煙草に火をつけた。不味い。だがこんなものだろう。  チリチリと減っていく先端に目配せしていたら警備員らしき人がこっちに向かってきた。でかい声で喚いている。 「走ろうか」  そう呟くや否や足が動いた。後ろからも走る音が聞こえる。追いつかれるわけにはいかない。必死に逃げた。もう力尽きてもいい。崩れそうな板の上を走る体は満身創痍でありながら、かつてなく生きる喜びに満ちていた。
Jumpei
最近本を読み始めました 家にダンベル欲しい