未来へ繋ぐ

未来へ繋ぐ
 椛の葉も落ちる秋の事である。私は遥々電車に乗って宇佐へ来た。カランと晴れ渡る青空に重々しい雲が山の上に伸し掛かって居る。今日はバイクで走るには絶好の日だ、と風を全身に浴びて思う。コンビニの付近を歩いて回りながら、金木犀の匂いに振り向いた。一面に立ち昇る香りは天まで届きそうだ。まだ燦々とした太陽に乾燥した空気が漂うが、朝方の肺まで冷める冷風が爽やかで、秋だと叫びたくなる心地よさがあった。私は肩に下げた牛革の鞄から手帳を出し、宇佐神宮までの道のりを一瞥した。ああ、意外と近いな。そう思って小走りに歩いていると、百舌鳥の鳴き声に耳奥が擽られる。霜の面影際立つ畑の影は白く霞んだ花が垂れていた。やれやれ、こんな陰に花を植えるとは何事だねと腕組みしてハァと溜息を漏らさずにはいられない。私ならば、此の美しい花を日向に植える。酷な人も居るものだと落胆した。神宮付近の馬鹿みたいに長広い駐車場を過ぎると、繁華街にも似た店が幾つか並んでいる。アイスクリームを頼もうと待つ子や、白濁色の宇佐飴を選ぶ人が並んでいる。ああそういえば藤井聡太も宇佐神宮に来たことがあるんだっけな、と思いながら歩いていると、朱色に塗られた鳥居が胸を張って建っている。私は何もいえず、ただ恍惚としてそれを見ていた。いつ来ても期待を裏切らぬ風貌である。私は思わず大きく首を垂れると、一歩踏み出し鳥居を潜り抜けた。そして廃れた機関車の隣を通り過ぎて、曲がる。椛の散った神橋が聳えていた。小走りして手摺から身を乗り出して川の底を覗くと、影昭和鯉や金鯉が鰭を揺らして泳いでいる。餌をやろうと、端にひっそりと佇む餌販売機に小銭を入れて袋を取ると、餌の塊をえいと投げ入れた。鯉達は徐に此方を覗き込み、頭を覗かせると餌に気づいて跳ねた。水飛沫を飛ばし、口を開けたり閉じたりして餌を争奪する。面白さに餌を四方八方に振り撒くと、満足してまた進んだ。段差に気をつけるように、と言い聞かせて降りると石鳥居を抜けて狛犬像が番で居る。頬を撫でてやると、笑いもしなかったが覗かれるように眼が合った。牙が覗き獅子を感じさせる体躯。堂々と胸を張り天を仰いでいた。私も上を見てみたが、ああ驚く事に紅葉した木の枝が垂れている。チラチラと枯葉が舞い、また砂利路を染めた。挨拶をして御手水へと足を急がせていると、朱印を書く場所なのか設置された神社にも似る建物を横切る。兎に角と作法通りに水を汲んで清めると、口も濯いでサラリとそこらに流した。鱗模様の手拭で爪まで拭き、酒樽の詰まれた角を回って長階段へと急ぐ。背後の八坂神社も後で参ろうと思いつつ上がると、視界が枯葉で覆われた。紅や黄に染まる樹木と階段。神域だということを体現している。此処に神が降臨していると言われても信じられる景色だ。ざぁざぁと風に鳴る木々の響めき。悲鳴。その裏にある静寂まで聞き分けて、ゴクリと唾を飲む。鞄の位置を戻して、カタカタと靴を鳴らし上へ上へとまた駆ける。すると、視界の全てが煌びやかな門と静謐なる神宮の雰囲気に満たされた。その場を突き破らん神聖さは紅葉と細かな彫刻によって編み出され、無論、その地の持つ自然の神力だって確かに込められていた。私は門を通り抜けて、小銭の枚数を数える。足りるなと安堵して、切妻屋根の宮を再度見てみる。恐ろしい、美麗な、見惚れてしまう様な美しさ。華麗さ。京都の橋に負けんばかりの朱。雨樋の間を見て馬でも通れそうな道があるのを見ては裏に覗く大きな橋を眺める。此こそ本場の八幡造である。私は少し違う作法をして小銭を入れると、無病息災を声に出して祈り、三棟繰り返した。満足すると、霊樹の幹の下で待人である菅原佳史を待つ。腕時計を確認しようと思ったが、生憎持っていない。仕方なく人の顔を眺めて遊んだ。老婆が震える手で杖に縋り、それでも手を合わせて拝む。若い夫婦が仲良さげに御守りを選び、同じ物を二つ手に取って帰ってゆく。そして、頬が薄紅の赤子が父に抱かれ笑っている。影は伸び、鳥は囀りを上げる。いい町じゃないか、と思わず笑いが溢れた。 「いいとこやろ」  痩せた男が矢守みたいな顔をして覗き込んできた。脚だけは陸上部だったからか鍛え上げられていて、薄ら筋肉が浮かんでいる。手は昔から血管が太く広がっていた。 「あっ、ふみさん」  佳史だから私は彼をふみと呼んでいる。ふみさんはニコリと微笑んで、手をひらひらとさせた。左腕に下がっている袋からは水滴が滲んでいる。 「そりゃお土産ですか」  首を傾げて訊く。仮に飲料だとして、而も此がカルピスならば私は彼に抱きついて喜ぶところだ。然し、彼に私の好みなど分かるはずがない。 「待たせたろ? 飲みもん買ってきた。本当はもっと高いの買いたかったけんど、値上げしたけえコイツで勘弁しろ」  濡れたペットボトルを掴んで渡される。いやカルピスに値上げとかあるのかよと嫌味が出そうになったが、仕方なく受け取った。 「いや、待ってないっすけど。麦茶かぁ、あんま好きじゃねえんだよなー。まあ、貰いますよ」
愛染明王
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