立ち止まって
偶然にも、目の前にて信号が色を変える。
「近頃変化した」と言っても、いつ頃始まったのか曖昧な中で置き換わり、いつしか日常に息を潜めたLED電灯は、現在赤を指し示している。
赤とは停止の意である。などという常識は誰もに刻み込まれているだろうが、要するに足止めを食ったということであった。
目の前で信号が赤になった。
私は日常の中でこれを不幸に語る人々を知っているが、少なくとも今の私はそのように感じてはいない。無論、だからといってその数多人々が間違っているという話ではない。
ただ、少しばかり考え方が違っていたのだ。
陽光も厳しい時期になり、その暑さに外出する気分にはならない。しかし、だからといってやらねばならないことが跡形も残らず消え失せるということもない。残念なことに外出はやむを得ず、結果として汗を滲ませているのである。例え手拭いでそれを拭き取ろうが、こびり付く不快感は拭えないのが目に見えていた。
これでもかと地上を照らす眩しさに目を細める。目で見る世界が狭まった為だろうか、段々と鮮明になる蝉達の鳴き声を感じた。元より目で見ていようがそうで無かろうが、やはり蝉の声は常に聞こえている。だがそういうことでは無い。
耳に入る音と、音を聞くこととでは似て非なるものである。そして改めて蝉達の声を聞き、そこに思い馳せるというのは忘れて久しい行動であった。
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カテゴリー: その他
投稿日時: 2026/7/21 13:40
じゃらねっこ
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