正方形
とある国のとある町の一角の、とある通りの路地裏に、一人のおじいさんが住んでいました。
そのおじいさんはとても名高い職人で、名前を知らない人はほとんど居ません。それはもう、国唯一の城よりも、おじいさんの名前の方が知られているくらいです。ですから、この国の住人達は迷わずに、おじいさんの作った四角を選びます。名高いおじいさんの四角は需要も高く、値を張るものばかりですが、それでも皆口を揃えて、「おじいさんの作ったものを」と言います。しかし、中にはおじいさんのつくる物を訝しむ人も居ます。ですが、ほんの少しの懐疑心よりも、大勢の期待と渇望がそれを埋め尽くすのです。
昔のおじいさんは今と同じで職人気質でしたが、今とは少し違ったように思います。昔のおじいさんなら空を見た時、穏やかな笑みを浮かべていましたし、顔に蝶が止まった時は、その場を少しも動かずに、蝶を休ませてあげました。今も昔も気難しい人ですが、今のおじいさんは少し、怖いように思います。それがどうしてなのか、私の頭では分かりません。分からないので、考えないようになりました。今日もお使いを頼まれた私は、おじいさんの正方形をいくつか買って、家に帰ります。帰り際、おじいさんの方に振り返りましたが、蛇のように長い列が私の視界を遮って、何も見えませんでした。それでも私は昔のように、小さくおじいさんに手を振ります。なんだか、手に触れる正方形は、昔より冷たいように感じました。
おじいさんが有名になったのは、私が出会ってしばらく後のことでした。昔から物を作るのが上手だったおじいさんですが、初めからそれが日の目を浴びていた訳では無かったのです。では、どうして有名になったのかというと、それは正方形のおかげでした。この国には正しい四角がありませんでした。どの人が作るものも、どの人が建てる家も、くにゃくにゃと岩の表面をなぞったように曲がっていて、それが当たり前でした。そこに、おじいさんが正方形の型を持って現れたのです。そのお話は人づてに広がって、気付けばその声は、王宮まで届いていたのです。そこからは寝て起きるよりも早い出来事でした。あっという間に王宮へと招待されたおじいさんは、国王が自分から大っぴらに喧伝し、勲章を与え、それを見ていた国民達も、おじいさんを称えました。そしてお城を中心に、私の知っている街並みは無くなっていきました。くにゃくにゃと曲がっていた国は、あっという間に真っ直ぐに変えられて、すぐに迷ってしまう歩きにくい道は、みるみるうちに向こうまでが見渡せるようになったのです。でも、何より私にとって変わったと思ったのは、おじいさんと話せなくなったことでした。おじいさんの家を覗くと、いつでも忙しそうにしているので、いつの間にか私は、おじいさんに話しかけることが出来なくなりました。私は悲しいと思いましたが、真剣なおじいさんの横顔を見るうちに、私の悲しさがどうしようもなく小さく思えて、眺めるのを辞めました。
ある日の事でした。とある博識そうな青年が、おじいさんのお家の前に立っていたのです。私はたまたま、おじいさんのお家の前を通りがかっていたので、その人のことをよく覚えています。始めは、お客さんかと思って通り過ぎようとしましたが、突然その人が大きな声をあげるので、驚いてそちらを向きました。すると、青年はおじいさんの正方形を掲げていたのです。呆気に取られた私は足を止め、気が付けば青年の言葉に耳を傾けていました。彼はこう言っていました。
「この正方形は正しくない!」
私は耳を疑いました。今まで誰も、そんな言葉を言ったことが無かったからです。心の中でそう思っていた人も居たのかもしれませんが、それでも言葉にする人は居ませんでした。ですが、その時私のすぐ近くに、そう言った人が居たのです。彼は続けて言いました。
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カテゴリー: その他
投稿日時: 2026/1/17 11:57
じゃらねっこ
ねこじゃらしが好きなので、じゃらねっこです。