泥の上に立つ 2

泥の上に立つ 2
「どうして、金を回収せずに逃げたんだ」  僕らの部屋を管理しているマフィアの男が顔を近づけた。酷い口臭に束の間僕は息を止める。腕や足は鎖で拘束され、身動きが取れなかった。  「金は回収したんだ。でも、逃げる途中で警官に掴まった」  「っと、嘘はいけねぇ。他の奴らが言ってたぞ。ソナを抱えて逃げようとしたってな。なんでそんなことしたっ。金だけ持って逃げりゃ良かっただろっ」  男は硬い素材の靴で顎を蹴り上げた。視界が一瞬真っ白になる。景色は収縮と膨張を繰り返しながら、元の暗い倉庫へと徐々に戻った。脳が揺れたのか吐き気がこみ上がる。  「なんでソナを抱えて逃げようとした」  「ソナ、は、大切、な、…」絞るようにして声を出す自分を男はいきなり手で制止した。  「今回の損失分はどうやって取り戻そうなぁ。おい、お前、奇形の弟を世話する、身体障害者の兄、なんて設定どうだ。うわぁ、俺って天才だ」そう言葉を吐いて男は倉庫を出て行った。  一体どこが取られる。指か、手か、足か、腕か、脚か、耳か、鼻か、眼か、どこだ、どこが取られる。痛いのは嫌だ。躰全体が震えだし、歯が音を立てる。僕は大切な仲間であるソナを、警官に暴行されるような危険から逃がそうとしただけだ。それが、どうして。僕の何が悪いんだ。  いつか自分の番が来ると、覚悟はしていたつもりだった。覚悟がこんなにも簡単に覆るなんて。逃げたい、失いたくない、痛いのは嫌だっ。弟の顔が浮かんだ。ああ、サン、お前が舌を切られたときも逃げたかったんだろ。糞ッ。糞ッ。僕は、顔も知らない両親のことを思い浮かべた。お前らが…、お前らが僕らを産んだから、こんなに苦しいんだっ。唾を吐いた。世界を恨んだ。糞ッ。糞ッ。
山口夏人(やまぐちなつひと)
山口夏人(やまぐちなつひと)
好きな作品 「K君の昇天」梶井基次郎 「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」三島由紀夫 「狐媚記」澁澤龍彦 「阿修羅花伝」赤江瀑 「芽むしり仔撃ち」大江健三郎 「ぬばたまの」須永朝彦 「火星植物園」中井英夫 「半島を出よ」村上龍 「トビアス」山尾悠子 「獣の奏者」上橋菜穂子 「有頂天家族」森見登美彦 「宝石の国」市川春子 2005年6月11日生 ある文学賞に応募したけど、箸にも棒にもかからなかった作品を挙げてます。