俺ぁ、分かんねーからよぉ

個人的に好きな街TOP3に入る浅草。そこには時代は残り、時代が入り込み、そして時代を追い越す。浅草の何が良いんですか?と問われると、やはり「時代」が残っているのが一番だろう。浅草は、建物がやはり低い。低くて、堅い。「てやんでいべらぼうめぇ」と言うよりも、「俺ぁ、分かんねーからよぉ」の方が似合う。そのなんだかハニかんだ照れ笑いがとてつもなく愛おしい。否定はせず、自己を下げる。下げるからと言って品が消える訳でもなく、「変わらない」「変われない」や「変わりたくない」のではなく「変えようがない」のが、また私の目の緊張感を緩ませる。頑固とは言えないが、とにかく堅い。その部分が一番好きだ。 変えようがない彼に沢山の人が世話を焼く。新しいものを数え切れないほどに渡されてしまうのだ。周りのお節介が、彼の魅力を更に引き立たせる。流行りを入れれば、どこか独特で乗り切れず、古いかと言われると、そう云う時間の概念ではない。ナチュラルに見てくれが良いものではなくなる。なんだか、遠巻きで見ていると、彼は「なんだこれ。分かんねーな。」と。そして、少し置いて「ありがとよ」と言って受け入れる。気に入ってるのだ。物が良いとか悪いとかではなく、ただ「貰った恩義」が嬉しいのだ。お節介した側も、最初は「違うんじゃない?」と自身をも疑う細めた目で見ていたが、今にも「へへん」と聞こえてきそうな程に鼻高々に嬉しそう。露骨に喜んでいる。 それを見ていた世話を焼きたいやつらも、こんなに喜んでくれるなら、もっと喜ばせたいと自分の良いと思うものを「これでもか!!!!」と彼が溺れそうな程に分け与える。彼は嫌がることはしない。ただ、彼には信念もあるらしい。「らしい」のは、誰にも分からないからだ。彼はおしゃべりじゃない。それは所か、言葉を発することすらもあまりしない。たまに表情を変える程度だ。それは周りを思ってのことなんだろうなぁと、私は想像している。それと同様にたまに勘違いをされて、嫌なことも言われたり、責められている所を目にしたこともある。庇おうとする「良いんだよ」と言う彼に少し腹が立つこともある。ただ、彼はいつも誰かを受け入れる。その器の大きさは、計り知れない。 ある日、いつもの様に彼の元へ行くと何かが違う。先日、今まで渡された物をぎゅうぎゅうに抱きしめて、それを自分の一部にし、新しい自分を作り出したらしい。それについては誰も言及も追求もしない。何故なら、彼は何も教えてくれないからだ。ただ、先日までの頂き物を大事に大事にこぼさないように丁寧にぎゅうぎゅうと仕舞い込んでいたらしい。「らしい」のオンパレードにもどかしくもなる。もっと早く教えて欲しかったよぉ。とはいえ、新しい彼も、やはり愛おしい。好きになったら負けなんだなぁ。受け入れることしかできない。そして、また今日もまた、沢山のお節介が彼に押し寄せる姿を遠巻きに見ている。 私はやっぱり、彼が好きで好きでたまらない。これが俺だと決めつけてくれるなと言っている様な気がするが、明言されたことはないから分からない。彼はおしゃべりじゃない。少し聞きたい気もするが、そんなん野暮だろう。不器用で憎めない、そんな彼だけど、良い距離感のまま付き合っていきたいとも思っている。 新しくなったはずの彼は、今日も「分かんねーからよぉ」と顔を赤らめている。
“Y”
“Y”
喫茶店を巡りながらエッセイを書いてます。 文字をこねくり回して言葉にしてますので、宜しくお願い致します!