腹立つ
私の親は世間的にいうと馬鹿である。双方、全体的な理解能力が著しく低く、想像力に欠けているのだ。私は彼らと同じように馬鹿であろうが、学問を楽しむ程度には能がある。学問に対し、努力を怠ってきた彼らと私では雲泥の差が生じていることは明々白々であろう。今、私は私を「馬鹿であろう」と書いた。実際はそう思っていない。ただ、客観的に書いた方が印象が良いのでそう綴っただけである。怒りに任せて文章を書く時、きっと相手を下げて自分を上げるのが定番だ。その定番に抗うためには此が必須である。まず、自分を彼らと同等まで言葉上下げておくのだ。そうすることで「私は彼らに気遣いの出来る有能な人なのだ」と優越感に浸ることが出来る。そうして、満足した時に飲む緑茶ほど美味いものはない。
そういえば、彼らと私の交わした会話について少し公言しておこう。まあ、馬鹿馬鹿しいといえばそうなるが、兎に角書いておかねば気が済まんのだ。その前に一つ前提を置いておく。
今日の昼下がり、私は学校内である研究授業で分野を分けることになった。選べるものは人間科学、教育分野、医療、自然科学、社会科学だ。そして、進学クラスの一、二組(私は二組である)と非進学クラスの三、四組合同で選ばれる。私は医学部を志していることもあり、医療に行ってはどうだと勧誘された。だが「大学で研究したいので、今は遠慮しておきます」と断ったのである。実際はそのような理由ではない。単純に、そこにいた人々の顔が厭だったのだ。蛇と狐を合わせて揉み合わせたような意地の悪い眼を見ると腹が立つ。仲の良い友人には「私が彼女達に喧嘩を売らないためにも入れないから」と言っておいた。事実、もしも喧嘩になってしまったら退学になるのだ。そして人間科学は人が多すぎて入る隙間がない。社会科学には興味がない故に何も出来ぬ。教育には興味があっても、数人が孤立しているのを見てしまったので不愉快になった。消去法で自然科学となる。然し、非進学クラス以外の生徒は私以外に居ない。此は困った、と私は思った。そんなことでは論理的な議論など出来ない!だが、頭は柔らかいだろうから多種多様な意見は出るはずである。私は不安を抱えつつもその列に並んでみた。列の人々は頗る残念そうな顔をして此方を覗いてくる。自然科学とは生物に、物理や化学なども含む。「自然」というからには此の私達の生きる世界で起こる現象である。そして日々解いている数式や関数など、それらの数学が現象となって視覚的に表すことができる分野も自然科学だ。私はそのように、現象と結ばれた数学といった印象を抱えて自然科学に入ったのである。また、受験でも人生でも用いる思考は論理や根拠のある研究だと考えた故の選択であった。
そして両親に此の事を伝えると、泥酔した父親が舌打ちをして机を叩き、涎を撒き散らして怒鳴っていた。諦めたような口調である。
「馬鹿しか居らんところに入ったのか。医者になりたいって言ったのも嘘なんだな」と。
現代語訳するとこうなる。私には意味がわからない。医療で論理的な思考を使うのは当然だ。そして、興味を持った分野を好きなだけやるのが青春なのではないだろうか、と思う。彼らの頭蓋骨に詰まっている脳が正常か否か気になるところだが、認知症でもあるまいし機能が弱いだけだろう。こうして親を侮辱する言葉を綴るのも申し訳ない。それでも周囲から笑い物にされて、冷ややかな眼を向けられている彼らのためにも私は言わなければならない。「馬鹿だ」と。そう言われて人は初めて気づき、そして恥じるものだ。自ら選び歩いてきた人生を恥じるなんて、と思うかもしれない。それでも人の迷惑になるよりかは良いだろう。将来のことを碌に考えずに生きて、浮気をしたり他の女のヴァギナを追って過ごしていたであろう男よりか遥かに利口であることを認めていただきたい。そして、流れに沿って適当に生きた結果、常に現状に満足していない哀れな女よりかはマシな人生を歩んでいることも承知願いたい。
「はあ。呆れた」私は確かそう言った。そして彼らの幸せな死を祈ってその場から去った。後、此を書いた後に彼らの頭蓋骨を木刀で叩いて致命傷を負わせてやろうと計画していた私であるが、こうして文字を綴っているとその気は失せた。何処か遠くを歩きたい。もうすぐ雨が降る。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2026/5/19 13:37
愛染明王
科学部の逸材