本能の果てに

 人は理性的な生き物だというが、それは嘘だと思う。こんなに本能に塗れて生きている私たちのどこに理性があるというのか。まだ痺れの残る指先に弾けた血潮と置物みたいな人間がいた。  ことは数時間前に起きた。喘息の薬を受け取るため、定期診断を兼ねて病院を訪れた。土曜ということもあり、密度の高い控室のソファで何となくテレビを眺めていた。何となく見ていたはずのその内容を私は忘れることができない。  自然界の厳しさをドキュメンタリーとしてまとめた番組だった。何となくテレビを眺めていた私には細かいことは分からないが、これから母になろうとする親鳥の物語であった。その鳥は白い身体に薄茶色の斑点を持っており、それが何とも言えぬ美しさであった。穏やかな性格を持つというその種の親鳥が産んだ卵は、親鳥に似て白に美しい薄茶の斑点を有していた。  途中から見ていた私に番組の構成は分からないが、親鳥になる前の大恋愛と、ようやく生まれた卵という場面から私は注意してみるようにした。私も数年前に母になったばかりの新米であり、何だか親鳥に共感してしまった。  緩やかな雰囲気のBGMと共に巣作りの様子などが映し出されていた。その雰囲気が、苦しくも楽しい私自身の子育てと似かよっていたことも、私を楽しませる要因だった。  ところが、和やかな雰囲気の音楽がパタリと止み、巣が見える定点カメラの映像が数秒間映し出された。常に何かしらの音楽の流れていた番組において、無音より騒がしい緊張はなかった。巧みな演出の番組に私は身を乗り出してのめり込んだ。  数秒の沈黙を経て、巣へ一羽の鳥がやってきた。それは親鳥ではなかった。親鳥と対極の色を持つ、黒に塗れたカラスであった。リズムを刻みながら小さく響く重低音が私の心臓を震わせた。  カラスは巣の上で吟味するかのように小刻みにステップを踏み始めた。すると、カラスはその鋭い嘴をどうすることもできぬ卵へと向けた。そして、そのまま殻を突き破り、中身を食べた。  おばさんたちの世間話しか聞こえぬ控室で、ひっ、と小さく怯えた声をあげてしまった。幸い誰にも気が付かれることはなかったが、私は完全に番組から目を逸らすことができなくなっていた。  カラスは三つある卵のうち一つを完食すると、次の卵へ目を光らせた。しかし、親鳥の気配を感じたのか、名残惜しそうに飛び立っていった。そこへ何も知らぬ親鳥が帰ってきた。破れた殻を嘴に咥え、孵化したと勘違いした親鳥は周囲を見回していた。しかし、それが孵化ではないことを悟ると、静かにそれでいて何よりも力強く、じっとしていた。
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色々書いています。