今日と昨日まで

今日と昨日まで
「当たり前」[名・形動] 《「当然 (とうぜん) 」の当て字「当前」を訓読みにして生まれた語》 1 そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま。「怒って―だ」 2 普通のこと。ありふれていること。また、そのさま。並み。ありきたり。「ごく―の人間」「―の出来」 参照・抜粋 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BD%93%E3%82%8A%E5%89%8D/ 「ディナーです」と言って右手で客人に料理を見せ、瞬間的に感覚や思想を察知させ品評されるお屋敷の主人に似ている「当たり前」と云う言葉。「大切」や「尊い」などの崇拝・崇高だと感じるワードを共有するに当たっても使われる。代用品としてよく登場するのが「絶対」だったり「必ず」と云った「永久保証」を約束された言葉だと思っていて、それにはとてつも無い信用が必要で器用で不器用な奴らである。見た目に伴わず、使用カロリー数がとっても高いのもそいつらのやり方だ。「絶対」と「必ず」は多くの場合達成されない。戦地に行く際に「必ず帰る」と言おうもんなら本体が戻ることは無いし、「絶対に迎えに行く」と言われても大抵迎えには来ない。とは言え、時たま遂行されることもあるが、その頃には色々と変更点が多くみられ、酷い時には邪魔者扱いされることだってある。そのくせ、「当たり前」はとても良いやつだ。ただ、「当たり前」は「永久保証」よりも「品質保証」に近い。それに「当たり前」は守備専門なので、先行で打たないのも魅力的である。「言ったからにはそれをありふれたものにしますよ」とか「貴方の思いや思考と同意義ですよ」なんて、少しお控え擦っているのも可愛い。それに意地や親切みたいなものが見えてとても愛おしく、そして、大きく背中を支えてくれる。 上野駅からすぐのところにあるギャラン。大人になった私は今でも悲しくなったり、寂しくなったりすると子どもに戻りにくる。今日は慰めてくれる友人と苦い経験をした私がそこにいる。自我を持って昭和を生きていない私にとって「これが昭和かぁ!」とタイムトリップした様な気分になれて好きやねんって事を覚えていてくれたのだろう。それに私は子供の頃からおばちゃんに連れて来てもらっていたし、大人になった今でもこの場所を利用している。少し古びた出立、何年も変わらずに出迎えてくれるギラギラしたホール、少し背の高いソファ、背の高いアイスコーヒー、昔はメロンソーダが好きだったなぁ。いつまでも変わらずに私を受け止めてくれる。「変わらないギャラン」は「変わった自分」をいつまでも子供の頃にさせる。ここで沢山の人生を見てきた。パンダを持った女の子、ブカブカの背広のおじさん、ロングのソバージュを掻き上げる女性たち、甘栗を袋いっぱいに持つおばさん、夏はこれよねと言って頭を抑える奥様方、一つのパフェを分け合うカップル、キャリーバッグを一生懸命持ち上げる外国人、嬉々として話をする友人、生クリームに喜びを隠せないスーツのおじさん、タバコの数を競う様に時間を共にした大好きなあの人…。ここが所謂、ダウンライトの落ち着いた喫茶店だったのなら入って来なかったであろう景色が、ここでは沢山目に入ってきた。店内のキラキラした照明がいつでも輝いてみえ、全ての人たちに輝きをもたらす。疲れてるであろう人たちもなんだか生き生きとしている様に感じる。
“Y”
“Y”
喫茶店を巡りながらエッセイを書いてます。 文字をこねくり回して言葉にしてますので、宜しくお願い致します!