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午後五時基十七時、夕峰山裏横に流れる夕峰川の河口傍の河原で、無事灯籠流しは開催された。ユウヤとミレイは暗目に見える人混みを掻き分けて河口付近へと出向き、トーチ形の灯篭が流され始めるのを横長の平たい岩に座り込んで待った。
河原の茂みには蒲公英と三つ葉その他雑草類が八割二割の振分で咲えている。石畳に停められたトラックの荷台に造られた紅白の櫓が神楽を奏でていて、その隣には三台程のシャンデリヤに似た照明を吊り下げているクレーン車が並んでいた。
灯籠流しの点灯が始まるまで、ユウヤとミレイは特に何かを話すこともなく、ただ目の前の早い日入りを経た、夕暮れから晩に変わる紺色の月の輝りと白い星散りばめく空とそれに従い闇を生み出す河口の表面を眺めた。ミレイが袋から朝方に買って残していたたこ焼きそばを夕飯代わりに食べ始める。食べる?とユウヤに言い、ユウヤも何口かもらった。
ユウヤはふと目の前の河口や夜空の風景に、あのゴッホの絵画、星月夜を思い出した。さっき美術館で観たゴッホの星月夜を写実化した様な景色が河川越しに広がる。水に溶けた絵の具の濃淡ようにぼやけた紺色が上空を広く染め広げている。当絵画作品の印象的なモチーフの黒い糸杉の代わりに、街の巨きな時計台が影に呑まれて聳えていた。
星月夜は、ゴッホが精神異常の末に耳を切り落とした事件の後に描かれた傑作というのは有名な話だが、耳を切り落としたゴッホは音を聞かずにどうやってあんな名絵画を描き続け、完成させたのだろうか。音のない風景は写真のように無機質で現実味がなく、作り物のようになってしまうはずなのに。ユウヤはそんなことを、冷めてソースの乾いた焼きそばの麺を噛みながら考えた。彼の生い立ちと当作品を、目の前の風景の外貌と比較、照合しながら灯籠が流されるのを待つ。
間も無く河川敷を足音や人影が埋め尽くし、灯籠流しの主体であるトーチ型の灯籠がまるで焔を模した光源となって、夕峰川河口に放流された。それらはそれぞれ色取りどりの彩りを見せて、虹色の蛍のように水面中に輝き、煌めいた。河川の静かだけど力強い細波が、灯籠達を川全体へと導く。灯篭には様々な果物の絵が描かれており、鮮やかに生き生きとしていた。
きれいだね、とミレイが横で呟き、そうだね、とユウヤもその光景を見つめながら答える。焼きそばを食べ終えて二人は体育座りになり、しばらく灯籠達の光の余韻に浸った。そして灯篭に込められた想いを思い浮かべようとしとみる。一般的な灯籠流しといえば、本来は盆の季節である夏に開かれるのだが、このY代市では、数十年前の春に大きな災害が起こり、多くの人々が犠牲となった出来事があった。それは奇しくもこの他招き祭りの開催日である三月二十二日の三日前であり、その為に夕峰山本山地に於ける他招き祭りと並行してこの夕峰川において灯籠流しが始祭されることとなった。災害の内容は、津波による大洪水が要因の街の半壊、そしてそれによる多くの人命の亡失でその葬いと成仏を願って当時のY代市自治体代表は特別に当行事の提案を挙げたのだった。
他招き祭りの由来は、自分の身体からほかの場所に存在する幸福や運気を招き寄せる為の祭事と云われていてそれは幸運に限らず、人望や恋愛といった人間関係に於いての成就も兼ねて信じられている行事であるのと同時に、惜しくも亡くなってしまった人々の魂を呼び起こし迎えるという意味も含まれ、命名されていた。
二人はそんな悲劇にも亡くなってしまった人々、それは生まれが遠くか近くかもわからない人ではあるかも知れないが、彼らの死際の瞬時の痛み苦しみや哀しみや辛さ、そして残された彼らの遺族の人達のえも言われぬ深い涙に思いを馳せて、一つ一つ丁寧な蛍火のように点灯する流れる灯籠を眺めて、気付けば無意識に感情をその光の群と溶け合わせていた。後方では、トラック上の櫓から、レクイエムに代わりこの儀式の雰囲気を募らせる古風でありながらも洋式チックな鎮魂曲を演奏者達が披露していた。
「ねえ、そういえばミレイ」
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カテゴリー: 恋愛・青春
投稿日時: 2025/10/3 2:19
最終編集日時: 2025/10/6 11:59
アベノケイスケ
小説はジャンル問わず好きです。趣味は雑多系の猫好きリリッカー(=・ω・`)