重度難聴

重度難聴
私は重度の難聴でした。とにかく聞こえません。 だけど、五十音などは難なく発音する事ができたのです。 そのため、生活にも困りませんでした。なんせ、家庭教師というものがありましたから。学校では、黒板に書かれた文字だけを見て、勉強していました。親は学校に私が重度の難聴という事を言っていなかったようで、それだけは大変でした。読み取るポイントは口と舌の動きでした。私は発音が出来たため、一つ一つの言葉を発音し、その口の中の動きなどを触って覚えることをしていましたので、小学校一年生の時「あぁ、いという発音の仕方はこの形の口なのだな」と覚えていました。 私には自由がほぼありませんでした。親や家庭教師が付きっきりでずっと勉強をさせられていました。私には妹が1人あったのですが、妹は私とは別で運動ばっかりでした。 どうやら親は私の事を医者に育てたいようです。ただ、環境が環境なのでそれはほぼ不可能と思っていました。親は父が発明家でした。そのため、私に聞いた音が文字として出てくる、電子機器のようなものを作ってくれました。昔から、父は、父だけは優しかったのです。私の事を常に気遣っていました。 その後、私は無事に医者になりました。 医者の中では有名な、手術失敗なしの医者でした。勤め先は大きな病院でした。その病院は家族が全員医者としてなっている病院でした。 家族も少しは失敗をしていましたが、最終兵器としての''私''が居たので失敗すれば私に仕事を押し付けるのです。母も妹も嫌な人でした。母は妹を溺愛しておりまして、私のことはそっちのけでした。私も母を必要としていないので良いのですがね。インタビューも受けたことがありますが、なんと言っているのか分からず、父に代理をしてもらいました。ですが、父の予定を狂わせ、母達が自分の手柄だ、と無理やり入ってきたのです。強欲な人達でした。別にいいのですがね。 ある日、妹が大きな病気になってしまいました。ドナーを必要とする、病気です。私はドナーになりたくありませんでした。ドナーは確かー、肺、?心臓でしたっけ?やはりあまり覚えていませんでした。母はもちろん私にドナーになれと言うのです。断りましたが無理やり仮死状態にされ、そのままドナーとなり死にました。
海
ご覧頂きありがとうございます 結構病みやすい性格をしていますが仲良くしていただけると嬉しいです 空白が多くて申し訳ないです。