夜桜と過去

夜桜と過去
 仕事終わりの夜、川沿いの桜並木の下を歩いていた。辺りは静まりかえって、夜が余計に寂しく感じる。私は一生仕事に追われる毎日を送るのだろうか。そして楽しいことなど何も起こらず年を重ねるのだろうか。夜の桜は私のその苦しみをよそに月の光を浴びて美しく輝いている。  桜を見ると昔が懐かしくなる。小さい頃はよく、友達や家族と桜の下でお弁当を食べたりした。あの頃はとても純粋だったし、どんなことにでも夢を持っていた。今は体も心も疲れ果てている。世界はそんなに甘くないと言うことを知り、夢を持っても叶わないと思ってしまった。子供時代の自分が羨ましく思える。  子供時代の頃の思い出を探っていると、五歳くらいの女の子が桜の下で、桜の花びらを集めていた。  「何してるの?」と訊いてみた。こんな夜遅くに出歩くなんて危険だし、第一子供が出歩く時間ではない。「桜の花を集めてるの」「お母さんとお父さんは?」「家にいる」「外に出ていること知っているの?」「知ってるよ」「でもこんな時間に外に出歩いちゃダメなんだよ」「へーそうなんだ。」それから沈黙が続いた。不思議なことに私はこの子のことを知っている。誰だろう…。あとどこでこの子を…。思い切って名前を訊いてみた。「名前はなんて言うの?」「さくらよ。」さくら、私の名前と同じだ。「さくらちゃんか。どこかで私を見たことない?」「あるよ」「どこで見たのかな?」「鏡の中だよ」「…鏡」そういえばこの子は私の幼い頃とそっくりだ。もしかして、鏡の中で見たってことは、「さくらちゃんって宮本桜って言う名前?」「うん。」やっぱり彼女は私。幼い頃の私なのかもしれない。前に聞いたことがある。死ぬ前に一番印象に残っている自分の姿をした人があの世から迎えに来るらしい。それは、小学生の姿だったり、二十歳の自分だったりと人によって様々。そうか、私はもう死ぬのか…。この世に未練などない、と言えば嘘になるかもしれないけど…。もう…いいか…。  私はしゃがみさくらちゃんの目線に合わせて言った。「お父さんとお母さんのところに行こうか」「お姉ちゃんも一緒?」「一緒だよ。私もあなたのお父さんとお母さんに会ってみたいし」「じゃあ早く行こう」私は立ち上がり、少女の手を握った。小さくて、温かい。自分で言うのはおかしいかもしれないが、この子となら、あの世も行けそうな気がする。  二人は桜のトンネルを少しずつ歩いていく。これから先の未来に胸を躍らせながら。  
星 と 海
星 と 海
小説を読むことが大好き。初めて読んだ本は、南総里見八犬伝