夏たちの恋
手を洗うのをやめ、カンナは窓の外を見た。遠くで花火が上がっている。打ち上がるたびに夜空を明るく照らし、手前のビルに影を落とした。カンナはしばらく、その光景を眺めていた。花火はなぜこんなにも美しく、こんなにも気高いのだろう。それは花火が開くのは一瞬だが、その一瞬に全てを出し尽くし、燃え尽きるからだ。だからこそ多くの人の心を動かし、花開く一瞬を、人の心の中で永遠に残すことができる。「今日、夏祭りか。」そう言うとカンナはクローゼットを開け、彼に初めてプレゼントされた赤いドレスを手に取り、玄関の戸を開けた。リビングではテレビが付けっぱなしになり、歌手が自分の知らない歌を歌っていた。
花火大会の楽しげな熱気とは異なり、マンションの周りは都会の熱気に包まれていた。ほとんどの人が花火になど目もくれず、車を走らせ、メールを打ち、友達と他愛のない会話をし、愛し合っている。それはそんなにも重要なことなのだろうか、とカンナは思った。花火の最初で最後の輝きに目を向ける暇もないほど、大事なのだろうか。それとも、日々を生きる中でそんな余裕を失ったのだろうか。人はみな、周りの人や自分自身に、自分を隠して生きている。退屈な本音を笑顔で隠し、思い描いた夢を現実で隠し、頬の皺を化粧で隠し、そうやって人は、か弱い命をなんとか保っている。不意に、一斉に花火が打ち上げられる。ものすごい轟音に、それまで見向きしなかった者もふと顔を上げる。カンナはこういう花火は好きではなかった。理由は定かではない。祭の終わりを連想させるからなのか、はたまた代わる代わる打ち上げられる花火が無機質に見えるからか。いずれにしても、花火は一度に一発が良い、と昔から思っていた。カンナは脇道に逸れた。そこには、電球の切れかかったネオンサインの付いた、少し古びたビルがあった。その地下に続く暗い階段を、カンナは降りていった。
クラブの中は閑散とした路地裏にあるとは思えない賑わいを見せる。低俗な話がそこら中を闊歩している。カウンターに目をやると、クラブ仲間がこちらに手を振ってきた。瞬時に笑顔を作り、手を振りかえす。それを見たか見ないか、彼女はすぐに店員に向き直り、またおしゃべりを再開した。カンナは店の奥の方に向かった。「よかったら一緒に飲まない?」帽子を被った2人組の男がこちらに近づいてきた。何も言わずに立ち去ろうとする。男は続ける。「これ俺の名刺だから。気が向いたら連絡して。」そう言って、小さな紙を手渡す。カンナは小さく笑ってその場を後にし、角を曲がったところでその紙を捨てた。
店の奥には小さな階段があり、そこを降りると大きなダンス会場になっている。エアコンはかかっているが、殆ど意味をなさないほど、人で熱気を帯びていた。ディスコボールの光がカンナを照らす。カンナは自分の身体を、人の海に放り込んだ。踊る、躍る。流れる曲のサビに合わせて、手脚をくねらせる様に動かす。時にしなやかに、時に激しく。髪を靡かせ、身体を揺らし、服をはためかせる。感情をすべて吐き出そうとするかの様に、命を燃やすかの様に、彼女は妖艶に踊り狂った。辺り一面に踊る人の群れがある。こんなに人に囲まれていても、ずっと彼女は孤独だった。しかし、それと同時に、輝いていた。
クラブから出ると、とっくに花火はおわっていた。街はいつもと同じ時間を過ごしている。彼女は歩き出し、タバコに火をつけた。夜の風にのって、パトカーのサイレンが聞こえる。襟を風に靡かせ、息をひとつ吐く。彼女は公園に向かった。ベンチの横にある灰皿にタバコを擦り付ける。公園には誰もいなかった。カンナはゆっくりと歩きながら赤いドレスを脱ぎ捨て、裸足になって踊った。先刻より更に激しく、跳ね、時に転げ回った。それはまるで、身体が自分を踊らせているかの様だった。
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カテゴリー: その他
投稿日時: 2022/8/17 5:02
注意: この小説には性的または暴力的な表現が含まれています
こころ虎