推し、消ゆ

推し、消ゆ
 大切な人を喪い、失意の底にあった私に手を差し伸べてくれたのは、一作のWEB小説だった。一息の呼吸すら苦しかったあの頃、私は仕事に行くこともできず、頭まで布団に潜り込んで儚いスマホの明かりに浮かび上がる文字列を只管に追っていた。  頭の中はネガティブな感情で飽和して、何か物を思う度に居なくなってしまったあの人と、何も出来なかった自分に対する自責の念が、怒ったハリネズミのように心に棘を突き立てて、もう、何も考えたくないと鈍化した諦観に私に飲まれかけていた。  そんな折に出会ったあの小説は、幼い頃にお母さんが作ったくれた乳粥のように甘く優しく、私の心を慰撫してくれた。行住坐臥に付きまとう世間の柵しがらみから離れ、ただ物語の世界に没頭することで、私の心は徐々に人間らしい彩を取り戻していった。  その物語は、泣きたいぐらいに優しいだけではなく、凛然とした美しさと、私とは全く違う解像度で世界を拓く作者の眼差しの鋭さが伺える作品だった。  題名は、『空色のひよこ』。  その作品を見つけた投稿サイトは、袋のデザインだけが次々と変わるポテトチップスのように、内輪の流行りネタを消費していくばかりの愚にもつかない作品で溢れていたが、私を救った作品は、ジャンクフードのようなテンプレートで形成された心の入らぬ作品とは一線を画してた。  物語を貫く確固たる芯の差――とでも、言うべきだろうか。  ワンセンテンスで分かる言葉選びのセンスの良さ。刺激の強いエピソードやキャラクターを並べて読者を牽引するような小説とはまるで違う。『空色のひよこ』は、どこにでも居るような平凡な少女が、ありふれた日常を過ごすだけの物語なのに、彼女の前に現れる世界は喜びと彩りに溢れていて、スマホの画面をスワイプする指が止まらないのだ。
竹尾練治
竹尾練治
ホラーやSFの短編が好きです。