op.10

どこへ向かうのだろう。確かに言えることは、決められた譜面通りの音を奏でるだけ。アレンジをしてもいい、独壇場のソロパートもあるだろう。だけれどそれは、定められた規律をもとにあらかじめ与えられたパートにすぎない。奏者のせいか、作者のせいか。誰のせいでもなく、どうにでもできるが、誰にも触れられない。 嘆くもいい、楽しむもいい、無茶をするもいい。 答えなど初めから用意されていないのだから。 あるのは終わりだけ。その事実に恐れと安堵を感じながら一小節ずつ隠そうとしても見え隠れするエゴを携えて、自己満足を己の演奏に見出せばいい。フェルマータの余韻に微笑むことができるならそれでいい。
ねも