日傘
梅雨が明けたのか明けてないのか、とにかく暑い日だった。湿度と気温にイライラしながら人混みを歩くのは想像を超えるストレスや負荷が襲いかかる。そう分かっているのに、この不愉快極まりない大通りのそれとは見合わない狭い歩道を歩かなければならない。ソフトケースに入ったベースと左手に持ったエフェクターが詰まったケースがさらに自分をストレスと負荷の境地に追い込む。唯一の救いと言えば、会話を交わさなければならない同行者がいないことだけだった。
目の前を日傘を刺した中年の女性が歩いている。背の低いその女性の傘の穂先がちょうど僕の目を攻撃するかのような位置で常に待機している。ストレスとイライラの要因を増やしてくれるこの中年女性に殺意までは行かないものの、蹴り飛ばしてしまいたい衝動に襲われる。そんな感情を堪えながら、いつも以上に重く感じる背中のベースと左手をベトつかせるエフェクターケースを疎ましく感じながら日傘の中年女性の後を歩く。いや、言うなれば歩かざるを得ない。何故なら僕が向かう駅と同じ方向に日傘が移動しているからだ。ほんの少しズレて歩けば解決できる問題を人混みという名のストレスが完膚なきまでに僕を阻む。
とにかくスタジオへ…いや、電車に乗ってこの日傘の中年女性と離れるまでは…そう自分を奮い立たせて必死に歩いている時だった。中年女性の日傘は凶器と化し、テロリスト然とした彼女の凶器の穂先が僕の右目に急に襲いかかってきた。咄嗟に避けるが穂先は僕の頬を掠めてヒリヒリとした感覚を置き去りにしていった。
地球に存在している生物として当然の怒りと言う感情が芽生えたのはいうまでもない。怒りにかまけて怒鳴り散らすのも良いかもしれないが、あまりにも通行人が多過ぎて恥ずかしいし、そもそもそんな度胸もない。無言でさりげない反撃がベストの選択である。そんなことを考えながら何も行動に移行できないまま駅は近づいている。
駅前の交差点で信号は赤になっていた。背中のベースを背負い直そうと少し屈んだ時、ベースのヘッドの部分がぼくの背中を越えて目の前に立っている中年女性の凶器として立派に存在している日傘の中に入り込み、彼女の前方の視界を遮ぎるように後ろから前に大きく押し上げた。人として当然の礼儀として「すみません」と謝罪したが、日傘の中年女性は振り返ってぼくを睨みつけただけだった。
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カテゴリー: お題
投稿日時: 2023/6/18 10:22
最終編集日時: 2023/6/18 10:36
ハヤト