勇気と愚鈍
人と話すのが怖い。
実際には何を恐れることもないのだが、「知らない人」、もっと厳密に言うと「これから関わることになる今はまだ知らない人」と話すことが怖い。頭の中では「知らない人もそのうち既知の同僚になる」と理解できているが、心は彼らを恐れている。未知の世界は探究心や好奇心よりも恐れの方が勝る。高いところから川に飛び込むには、勇気よりも愚鈍さが肝要だ。飛び込んだ先に大岩があって頭を打つかもしれない、たまたまスッポンがいて耳に噛み付かれるかもしれない、誤って背面から飛び込んでしまって水面に首を強打するかもしれない、なんてことをいちいち考えていたら飛び込むことなどできはしない。
飛び込むことで勇気を示し、周囲の人々からの侮蔑を僅かばかり上回る尊敬を得ることにのみ注目するべきなのである。道を開くのは進んで愚鈍になった者だけだ。保身と小賢しさを持つものは、かえって軽蔑されるし自らの居どころが一向に進まない。どこにも行くことができない。愚鈍になるとは本当の意味で愚かになることではない。暗澹たる航路を進むために灯台の光を探すことであり、暗がりからいつまでも抜け出せずに幽霊船になることではない。
愚鈍さとは光を探す意志である。人と話すことはお前の生命を前に進める行為である。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2025/12/11 10:50
洞田浮遊(うろたうゆ)
小説家になりたいです。