イーストウッド監督の「陪審員2」を速攻で見たぞ。

ハリーキャラハンことクリント・イーストウッドが映画監督に転身して、いつしか「巨匠」になっていた、と言うと自身の「映画に関する興味の空白期間の長さ」を告白しているようで少しキマリが悪い。 配信で映画のおさらいが出来るようになったのが60過ぎからで、まぁ別にしなくても良いのだけど、想いを文章にすると達成感のような物ができて、丁寧な安否確認のようで具合がいい。知り合いに勧められて「陪審員2」の評判がいいようなので視聴してみた。イーストウッド監督の映画はチャンと見たのは初めてで、例えば名高い「硫黄島」二部作辺りは見ようと思っていたが未見。「手紙」の方はアメリカ人が日本側の視点で戦争映画を作ったって事実だけで監督のスタンスが推測出来て「えらい物だなぁ」と勝手な好印象を持ってはいた。 さて驚愕の92才監督の作った「陪審員2」はどうだったか? ネタバレはしたくないので全体の雰囲気と印象評を述べようと思う。 まず「面白かった、飽きずに一気見」だった。陪審員物って登場人物の表現と役割分担が見せ場になることが多いと思うが本作もそうで、キャスティングもよく、皆んな魅力的(まぁ当たり前だけど)。日本人にとっては色々と興味深い。 陪審員制度を支えている「普通の人達、中立の立場」が厳しい選別を受けていることが示されるシーンが随所にあって、コレは結構後で効いてくる隠し味になっていた。脚本が上手いのだろう。 アメリカの田舎町ってのがミソで、とにかく淡々と、感情的な目立った対立もなく、ありがちな口角泡を飛ばすようなシーンも無い。退屈かも知れないが、それでいて主要キャストの心の変化が自然に感得されて行く。誠にアメリカ映画らしく無い(コレは小生の主観だけど)。ここだけ読むと小津安二郎かぁって気もしてくる(あそこまで様式美に入り込んでいないけど) 昔、ドラマ「逃亡者」のナレに「正しかるべき正義も時として盲いる(めしいる)ことがある」って奴があったけど、纏めるとしたらこの物言いかと。検事のオバサン(この人が実にハマっていた)が職務を離れて事件の真相に近づこうとするが、それとても裁判が終わって、人々は日常の生活に戻って行く(罪の意識、冤罪の恐ろしさとかも含めて)。 それでも監督が執拗に司法の建物と象徴の天秤をシーンに組み込んでいるのは、イーストウッド監督の人間としての想いが込められていると言って良い。地味で小作品だけど、良心的で良作。噛み締める箇所が結構あった。
ヨーイチ