無限の図書館ーThe Library of Babelー
私は図書館を探していた。全ての書物が蔵書されている幻の図書館を。私はただ、町を散歩しているだけで、出会えるらしいと半信半疑で街歩きをしていた。すると、良い雰囲気の個人経営の古着屋があった。ショーウインドウから見ると明るく見えた店内は、明かりがついているか怪しいほど暗かった。私は奥へと歩みを進める。この店には不思議な雰囲気があったからだ。古着屋の店内には服が所狭しと掛けられていて、婦人服が殆どだった。古着屋特有の古い香水のような匂いが立ち込めて、暗い店内は長く続いている。店員は見つからない。私は、どんどん奥へ入る。取り憑かれたみたいに碌に商品を見ずにずかずかと入っていく。微かに輪郭が見える程度の明るさだったのが、最後には何も見えなくなった。古い服の匂いだけがした。いつの間にか、私には周りが見えるようになっていた。私は確かに服屋にいたはずだが、私は今、書架の間に立っていた。周りを見渡せば本、本、本。大小様々な本が見上げても果てがないほどに高く聳え立ち、天井は霞んでいた。私は後ろを振り返る。私の四メートルほど後ろに、本棚の切れ目があった。私はUターンして四メートルほど戻った。本棚の裏には古着屋のラックがあった。服が大量に引っかかっている。暗いところに大量に溜まっていた。私は戻れると分かって息を吐く。ここは古着屋と図書館の境目だった。古着のかかったラックの続きには本棚が続いていた。私はこの不思議な光景を恐ろしいほど冷静に見ていた。この空間には壁がない。天井もあるのか分からない。古着屋のラックと図書館の本棚しか見えない。 私はつかつかと図書館の方にUターンして、書架をまっすぐ歩いていった。私はどこかに切れ目があるはずだと思っていたから、はっきりと確信を持って前に進んだ。書架は所狭しと並ぶ。鏡写しのように左右どちらにも果てしなく本棚が見える。本と本の間から見える景色はあわせ鏡のようにそっくりだ。しかし、背表紙に書かれた題名が読めることによって、鏡写しではないと分かる。背表紙に書かれているのは日本語だけに留まらない。英語、中国語、アラビア語、フランス語。分かるだけでもこれだけあった。私の知らない記号が立ち並び、言語関係なく並べられている。私は顔をしかめて日本語を探すことにした。大学時代にフランス語を専攻していたから多少は読めた。日本語、英語、フランス語。しかし表題は全てシリーズ物以外は完全にシャッフルされて、周りの本と合わせる気が露ほどもない並べ方をしていた。ここに司書はいるのだろうか?司書がいるとすれば、私は言ってやるだろう、完全に並べ方が間違っていると。しかし、この図書館に司書が居なければどうやって整理しているのか。私に教えて欲しい。 私の足音はカーンカーンと冷たい音を立てて反響する。空間が無限のように、物質も無限のこの空間では音の広がりも自由なのかもしれない。これほどまでに本が置かれているのによくも反響するものだ。反響した音は本の間を通り抜けて、果てしなく広がって行った。どこまで広がっていくのか私には分からない。度々やまびこのように私の足音が跳ね返って戻ってくる。私がいつ鳴らした足音なのか?それは分からない。私は耳をすまして途中からスキップに切り替える。タタッっと音が切り替わるから、どこかのタイミングで切り替わったスキップのやまびこが聞こえてくるはずだと思ったからだ。でも、スキップの音はこもって反響しづらいのか、戻ってくることは無かった。私は残念に思いつつも、そんなもんか、と冷めた気持ちで歩いていた。往々にして期待とはよく外れるものである。私がそのようにして歩き続けていると、本棚の終わりが見えてきた。本棚が終われば、そこにあるのは書見台だったり、普通の図書館なら本を読むための椅子だったりするだろう。そのような期待をして私は本棚から出てきた。 本棚の先に書見台なんてとんでもない。その先に続いたのは普通の本棚だった。先ほどは背が高い、天井まで続く本棚だったが、次に続くのは大きくて分厚い、私がよく絵を描くF8サイズほどの本だった。F8はA4の倍の大きさだ。それが、二、三冊飾られた背の低い本棚が点々と置かれ、その先に見えるのはまた本棚。私は管理人に会えるのを期待していただけに、げんなりしてしまった。 見ていて飽きない不思議な光景だったので、私は飽きずに歩き続けた。沢山の本棚は蛇腹折に配置され大きな本が置かれていた。私はまぼろしのように外見だけで中身がないかもしれないと思って、その中の一冊を手に取る。題名は「包丁の歴史」ずっしりした大判の本だった。私は数ページ捲ったが、内容はどこの書店にも置いてある内容だった。私は再び歩きだす。様々なエリアがあった。本の配置はすべて本の大きさのみによって決められていると分かった。題名や著者は関係なく、紙質や年代も拘ら ずに並べられていた。どれも保存状態は良好だ。陽の光なんてこれらの本には浴びる機会がないのだろう。手に取る人もいなければ読む人もいない。変わることのない環境で保存され続ける。 私はこの図書館が恐ろしくなってきた。私の響く足音が来訪の合図のように聞こえてならなかったからだ。図書館は床がこんなに響くようには造られない。響いた足音を合図にして、霞んだ先の先の本棚にいる何かに知らせるためのもの。静かにするべき図書館のルールに違反している。もし、何かが私の足音に気がつけば、真っ先にここにやってくる。そんなことを想像した。その何かはなんでもいい。未知の化け物でも良いし、司書でも良い、私と同じように迷い込んだ人かもしれない。足音が聞こえてくれば私はすぐにその方向に行くだろう。私はアフリカに二匹のアリがいる姿を想像した。聞くところによれば、アフリカじゅうを二匹のアリが歩き回り、二匹のアリが出会う確率と私たちが宇宙人に会う確率が同じだというのだ。私はいま広大な図書館にいて、誰かを探してここを歩いている。この図書館の広さは分からない。これは二匹のアリと同じではないのか。暗黒の図書館を歩くことは果てしない冒険の始まりなのか、この恐怖は大きくなる。一歩踏み出すごとに恐怖は増大する。そして、時間が流れるからお腹が空く。私はもと来た道を引き返さない限り出られない。食べ物は手に入らない。出られなければ飢えて死ぬだけで、死体すら見つけて貰えないかもしれない。私はポケットの中を確認する。飴がふた粒あって、一つがカフェモカ味、もう一つがコーヒー味で私はコーヒー味のほうが好きだった。私はコーヒー味のほうを口に入れる。ころころと口の中で転がすと甘味が広がって幸せになった。私は歩き続ける。既に二十分は歩いているが、時間を確認する。十二時半過ぎ。既に三十分歩いていることになる。私は早くに昼食をとっていたからお腹は空いていなかった。危機感が私にはさっぱり足りていなかった。幸いにも今日は日曜日である、もう一時間歩いて、何もなかったら帰ろうと決めて進む。
私は新聞記者をしていて、頭の中の片隅に追いやられていた表現欲が少しずつ手前にやってきた。別に都市伝説や陰謀論を記事にしているわけではない。堅実な政治部に在籍しているが、縁あって雑誌のコラムを書くことになったり、誰かに不思議な話を求められたときの新たなひきだしができたから使ってみたいのだ。私は疲れてしまった。長い時間歩いていたから当たり前だ。私は立ち止まって、本棚に寄りかかった。私の足音が聞こえなくなった。さっきから、後ろから追いかけてくるみたいに反響していた。シーンと音が聞こえる。シーンという言葉を始めに使ったのは手塚治虫だったというのはご存知だろうか。静かすぎると耳の中の音を探す器官が余計に音を探して、その器官が動く音を、その器官が拾ってしまう。だから、自分が動く音を聞いているということ、それは、シーンという音も私がいないと発生しない音だ。ごく当たり前の話で、ここには何も音を鳴らすものはない、シーンとした音は私の中で呟いているようなもの。私はしゃがむ。どくどくと心臓が鼓動する音がする。血液が全身をまわって、私が生きているのを感じさせる。恐ろしくなって、私は無理やり二つ目の飴を口に入れ、早くも最後の食料を消費した。あまり美味しくなかったが、カフェモカ味のの懐かしい香りがして、現実に戻ってきたように感じた。私は立ち上がる。心臓の音をもう聞きたくなかった。私は無理やり疲れていたが、前へ足を踏み出し歩き始めた。カーンカーンと私の足音は酷く反響する。心臓の音は聞こえなくなった。私の足音だけが聞こえる。どうやってもここでは自分の音から逃れられないらしい。本は何も話さない。本は大量の言葉を記録していながら私を通して初めて言葉になる。ここには言葉が無限に溢れているはずなのに私の音しか聞こえなかった、私はラジオを思い浮かべた。周波数を合わせずにスイッチだけ入れていると勝手にガーガーと何か引っかかったような音がする。それが今の私だ。本を開いていないから静寂の中で自分の音がする。私は近くにあった本を手に取った。図書館に来たからには何か本を読むべきだ。私はただ、居場所が欲しかっただけだった。本の題名は「赤石市 2027年予算案(仮)」だった。つらつらと文字を追い、特に気に留めずにページを捲る。図形や数字で市の財政状況が示され、市に必要なお金の額、新たに必要になったお金、そのお金はどこから出すのか、そして最終的に幾らになるのか、書かれていたが、途中で私は飽きてしまって、隣の本を取る。「三浦高校1967年卒業アルバム」中身もどこかで見たことのある高度成長期の普通のアルバムだった。みんな一様に日焼けしてにこりと笑った高校生達の写真の色は暗かったが、保存状態は非常に良好で、今が58年前のものとは思えない。一組から順番にクラスメイトの名前と顔写真が並んで、髪型は当時流行していたスタイルだった。なぜ、こんなものがここにあるのだろう。図書館にこんなものがあっていいのか。市の予算編成は一般に公開されているかもしれない、しかし、卒業アルバムは果たして図書館にあっても許されるのか?そんなことを私が考えていると、遠くの方からカーンカーンという音がした。果てしなく聳え立つ本棚は反響してわんわんと鳴りだした。私は誰かがいると悟った。私は後ろを振り返る。足音は後ろからやってきている。
②
一定のリズムを刻んで図書館の番人はやってきた。まるで鐘が鳴るようにカーンカーンと音を反響させながらやってきた。明るい書架の間にあった静寂が破られた。
私は見つかってしまったような、隠れなければいけないような感情になった。しかし、私が周囲を見渡しても一本道のたまに本棚の端があるだけで、不運なことに私の近くには逃げ場がなかった。体が硬直して動かない、私はただ、誰かが来る方向を見つめていることしかできなかった。誰かの歩幅は小さくて、少しずつ近づいてくる。私はこの図書館でどれだけちっぽけな存在か感じていた。しばらくして、遠くの本棚から小さな人影が見えた。人影は私のほうを認めて、私に向かって近づいて来る、人影はどんどん大きくなってきて、ついに私の前で立ち止まった。誰か───彼女は中年の女だった。老いの境にあって、白髪混じりの中年の女で、着ている服は毛玉がついて、異臭はしていないが、清潔とも言えない様子で私のほうを見ていた。
「あんたは───誰だい」
彼女は白濁した目でこちらを観察していて、私は答えに窮した。彼女は一般に働いている人にとても見えない。
「わたし、わたしはっ」
彼女は私の前を通り過ぎた。そして振り返って、「ついてきな」と言った。私は彼女についていく。私と彼女は足音を響かせながら歩く。私は長く歩くと覚悟していた。しかし、私が何十分もかけて歩いた書架は拍子抜けするほどすぐに抜けてしまった。果てしなく続くと思われていた本棚は続いていなかったのだ。本棚の先にはクローゼットがあった。突然に現れたクローゼットに私は驚いた。そしてクローゼットは普通の廊下にあって、振り返れば、私たちが今まで歩いてきた図書館は無くなっていた。
「ここは」
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カテゴリー: ファンタジー
投稿日時: 2026/10/29 8:50
鶴さん
特に西尾維新、森博嗣、舞城王太郎、貴志祐介が好き。
(`・∀・)ノイェ-イ!