遁走

 ある男は走っている。  ただ、草木を駆け抜け、小川を駆け抜け、あてもなく走っている。  男は無様だった。靴を履かず、薄汚い穴だらけの靴下で、衣服ははだけ、とても近寄りたいとは思えない。ただ、男はまっすぐに前を見つめ、凛々しい顔つきをしている。まるで、自分が褒め称えられ、民衆から歓迎を受けたかのように。  この頃の悪天候とは無縁な男は、照りつける日差しと対峙しながら走っている。  息を切らさず、一定の速さで走り続ける男はある国から逃げていた。国の権力者に物申したのだ。権力者はまさか男が口答えしたことに憤った。大衆は内心男を称えたことだろう。気の短い権力者は自分を辱めた男をどうにかして捕え、殺そうと考えた。男は賢明であり、それが自分を捕らえる前に走り出した。男の十町前には使役人が四人走っている。途中で力尽き、幾人も減った。使役人も必死なのだ。何もなく帰ると、権力者に殺される。必ずや、犠牲者は出るのだ。  死に飢えた権力者は蔑まれ、地位を求めた使役人は干からびる。男はそんな国を去ることを選んだ。国境さえ超えてしまえば、国の関係者は来られない。そのことを知っている男は国境へと駆ける。ただ、あてもなく走っていた男が急な方向転換をしたせいで、使役人は先回りができなくなった。  男はまだ息が続いている。いつの間にか、使役人は追ってこなくなっていた。  国を変えようとした革命家は今もどこかで生を為しているのだろう。
傘と長靴
傘と長靴
 自分の書いた物語を誰かと共有したいと思い始めました。  拙い文章ですが、目に留めていただけると、幸いです。