覚悟を決める
診察を待つ間もボニファーツは饒舌だった。友好的なヴェンリー國が多方面から批判されて可哀想だとか同盟を組むべきだと意見を並べて、終いには「偏見や差別は何も生まないよ」と正義を掲げる指導者らしく説教をする。エヴァンは最初の話だけは真剣に聞いていたが、直ぐに飽きて壁を眺めた。受付募集の紙と病院の内部が描かれた図が大きく載せられていた。そして上の方には滅創の説明が簡潔に書かれた紙も貼り付けられている。字を眼で追っていると、ガラガラと第二診察室の扉が開いた。誰かと思えば、若いのに背を曲げて白衣を纏った企鵝竜が此方を向いて愕然としている。頬毛は橙で角は赤褐色で大きく反っている。朦朧として傷を押さえていたクルルも思わず顔を上げて「オーラン」と譫言のように言った。頷く彼の首からはお馴染み石名の名札が下げられており、黝簾石《タンザナイト》とある。黝簾石ことオーランは徐に歩き出すと自分の水晶体を疑った。何かを探すような手つきで二頭を触った。するとブワと大粒の涙が溢れ出す。ボニファーツを放って敬礼もせずに抱きつくと胸に顔を埋めてワンワンと声を上げて泣いた。一頻り喚いた後、顔を真っ赤に染めて彼らとボニファーツを診察室に案内した。そのまま凹んだ廻転椅子に座らせる。まだオーランの眼には澄んだ涙が浮かんでいた。
「そんなに酷い傷なのか。困った。どうやら私達は助からないらしい」
彼は皮肉っぽく笑った。椅子の上で細長い尻尾を垂らして抉れた翼も半ば広げたまま顎を上げて見上げてみる。背後で護衛の如く立っているボニファーツは顔を真っ青にして髭を震わせていた。教授時代から変わらない物腰にオーランは苦笑いした。
「なあに、助かりますよ。超音波検査しましょうか。見た感じ肉離れと内出血……ですね。クルル先生は傷が深いんで先に縫いましょう」
そう言ってクルルの紡錘形に開いた傷を指した。光を照らして見ると皮下脂肪が丸出しになっており砂で汚れている。オーランは看護師に頼んで生理食塩水とポピドンヨード消毒液を手渡して貰う。傷口を洗って消毒する為に布を浸して当てた。
「アッ! 痛い、痛いッ!」
クルルは耳を劈くような甲高い悲鳴を上げて椅子に座ったまま脚を上げて大暴れした。
「暴れると傷がもっと開く。力を抜いて深呼吸だ」
エヴァンが残った体力を振り絞ってクルルを両手で押さえ込んだ。ある程度の範囲が終わると、次に麻酔注射の穿刺針を端から刺し込んだ。丘疹を作りながら麻酔液を注入していくと忽ち痛みは消えて、感覚を失った違和感だけが残る。ボニファーツは興味深そうに横から覗き込んで「手際が良いね。迷いがないから見てて安心する」と舌を巻いた。また苦笑いをしたオーランは居心地悪そうに糸を仕込んで持針器を向け、開かれた傷の奥から埋め込むように縫い上げた。あの見るに堪えない傷も塞がって、而も治療を担当した医者が手塩に掛けていた学生だとは! クルルは大喜びして有頂天となっていた。漸く順番の廻ってきたエヴァンは超音波画像観察装置の隣に寝かされて機械を当てられる。先ずは切り傷しかない右脚だ。白黒の映像に白い筋膜が真っ直ぐ伸びていて細い筋繊維が張り巡らされている。此方は正常らしい。眼に見えて痛めつけられた左脚を映し出すと度肝を抜かれた。筋膜は見え辛く、大きく離れて血腫が広くある。完全な断裂には至らなかったが、腱も筋肉も出血したり千切れていたり散々だ。全身検査しようという提案で磁気共鳴画像を撮ったら急所以外の殆どが傷だらけになっている。画像を貼り付けるの最中、オーランは気まずそうに「酷いけれど、青玉さんだから仕方ありませんね」と眉を寄せて笑った。それから受付で鎮痛剤などの内服薬から湿布まで大量に用意してもらうと、袋に詰めて手渡された。基地に帰る時、ふと思い返して見るとボニファーツは終始無口で様子を見ていた。いつもの饒舌は何処に消え失せたのだろうか、と寧ろ心を躍らせる。ボニファーツは敢えて食堂ではなく、自分の部屋へ案内した。初めて此の基地を訪れた以来であった。相変わらず艶のある机には食堂と同じものが丁寧に並べられている。二頭は傷口を押さえて座り込むと、一口食べた。缶蕃茄の飾らぬ甘酸っぱさに、冷えて伸びた麺が濃厚に絡まる。羅勒の葉も噛めば噛むほど口内を爽やかにした。クルルが夢中になってがっついているのを見るなり、エヴァンはボニファーツの方を向いて言った。
「そういえば、君は私に言うべき事があるんじゃないか」
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カテゴリー: ファンタジー
投稿日時: 2026/3/25 12:40
愛染明王
身の廻りに住んでいる動物達の一日を書き留めている。好きなものは菌類を含めた生物全般、そして女性。作品を此処に書き留めては読み返し、日々修正を重ねている。