ここは、地獄

ここは、地獄
たばこ、吸うまえ。鼻水が、ぼたっと垂れた。 ひとつ、吉住の姉さんが、歩いている。ざっざっ、くるぶしから老いてゆくように。スクーターの座席に腰掛けた、おれ。淡い電灯の、その田んぼ道の隙間。吉住の姉さんは、膝が擦りむけて。それ以外も、ぜんぶ、擦りむけたまま。イカ臭さが、ふわりワンピースに舞う。ーーおれは、ここが地獄だと、思った。 「あの子、もう幾つになったんかな」 保育園のまえ、通り過ぎた信号待ちだった。かちかちと、テールランプに乗せられて。軽く口を開いた、吉住の姉さんがいた。国道沿いに、大きな青い看板が県境を示す。このまま、病院を抜け出しても構わないと、思って。革のブレーキが、じっとりと手のひら。汗ばんだ先には、メーターの針が左に振り切って。かちかち、子どもの無垢な声が、聞こえていた。 「もう、あれは四歳ぐらいです」 「そう……そうなんだ、あっ転びそう」 物呼ばわりをする、浅ましいおれを赦してください。吉住の姉さんの、あの頃の腹の大きさを思い出すたびに。ぴきり、脳みそが音を立てながら、鎖骨を抉る。喉にへばりつく痰、それすら、卑しくないだろう。あれを吐き気がすると、あなたは思いたくはないなんて。縮こまりながら、水道の蛇口を捻る。吉住の姉さんの、背中に薄ら浮かんだ骨が、痩せた妊婦の腹と。そう、ちぐはぐに、とても見れたもんじゃーーあれは、まるで、戦争孤児のようだった。
西崎 静
西崎 静
コツコツ書いていきたいと思っております。よろしくお願いします!成済