先輩がいた頃
心中穏やかではなかったが、夕暮れ時の山際の鮮やかさを見て、つい立ち止まってしまった。手に咥えていた煙草を深く吸い、吹かすと大きく煙が広がった。その煙に息を吹きかけると、漂っていた煙が霧散し、新たに少し薄い煙が宙に残る。夕陽と煙草の先の赤色、どちらが明るいか見比べるが、答えが出るより先に夕陽が沈んでしまった。
近頃は乾燥していて、唇の皮もよく裂けるが、リップクリームを塗るおじさんはいかがなものかと思い、裂けたままにしてある。舌先で舐めると少し血の味がする。舐めると余計に乾燥すると聞いたことがあるが、元来の癖なのか中々やめることができない。
しかし、今の若い子は簡単に辞めていく。転職が盛んな時代なのは分かっているつもりだった。二十五年勤めたこの会社、もう転職をするような年でもないが、もし違う会社に入っていたらどうなっていただろうか。そんな妄想をすることも難しく、他社で働くイメージは脳内で散って消えてしまった。
夕陽が落ち暗くなった通りを歩き、街灯の少なさを思う。スマートフォンが照らしてくれなかった時代、照明は煙草だけで、無理に二本目を吸ったこともあった。
遠くでパトカーの音がして、慌てて煙草の火を消し、ベルトについた携帯灰皿へ煙草を捨てた。音はだんだん近づき、冷静になって聞くとそれは消防車の音だった。近づいたと思った音はまた遠くへ行った。頭の中でパトカーの音はどんなだったか想像するが、消防車の音に邪魔されてうまく思い出せなかった。
黒の使い古した携帯灰皿を触る。入社直後に教育係の先輩から貰った品だった。社会人になったら格好だけでもつけておけと言われ、喫煙者のイメージ改善に協力させられた。あれから煙草のイメージはさらに悪化し、先輩も結婚すると同時にやめてしまった。
二十五年分の月日を先輩も体験しているはずだが、数年して退社してしまった先輩の顔は昔のまま思い出される。退社後も何度か会っているはずなのに、昔のままだ。よく彼女を自慢していたから奥さんが美しいのは分かっていたが、二十年以上経てばもうおばさんだろう。
スマホを開くと、極端に明るい画面設定に目が眩んだ。メールには確かに葬式の案内があって、宛先が間違いでないことを、文章内の自分の名前が物語っていた。美しい奥さんが書いた文章だろうが、不必要に丁寧な文が先輩を思い起こさせた。葬式の案内など誰が書いても変わらないはずなのに。
家に帰り、玄関の自動照明がつく。リビングでテレビを見ていた妻が首だけで迎える。服を適当に脱ぎ、洗濯カゴに投げた。
シャワーを浴びながらメールのことを思い出す。有給をとることは難しくない。ただそれ以上に一人で葬式に行くという経験がなく、どうすれば良いのか分からなかった。奥さんになんと挨拶すべきかも分からなかった。
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カテゴリー: その他
投稿日時: 2026/9/11 2:37
K
色々書いています。