気まぐれボーダー
越境とは一体どんな気分なのだろうか。そもそもどこに境目があるのか私たちは目で見ることもできない。旦那に尋ねることもできない。
私の旦那はアメリカで生まれた孤児であった。イラン人と日本人の夫婦に育てられたが、夫婦の離婚を機に、日本人である母とともに日本へやってきた。その後すぐ、母は死んでしまい、祖父母にあたる人たちと私と出会うまで暮らしていたという。
それとなく、イラン人である父の話を聞いたことがあるが、家族だと思っているよ、などと含みのある言い方をする。ドラマのように血の繋がりはなくとも愛がある、といったものでもない。かといって冷め切った関係でもない。現実はこんなものなのかと理解していた。
私の旦那は一体何人に属するのか、と聞かれたら私は即答できないことが最近の悩みである。所謂ハーフである息子の友人に「お父さんは何人なの」と尋ねられたことがきっかけである。戸籍上は日本人であるはずだ。しかし、血を辿るならそれは確かにアメリカにあるはずである。育て親である父の話を持ち出せばイランの可能性もあるだろう。現に旦那は、達者ではないが、ペルシャ語を話すことができる。
この問いに答えを出せないということは、私たちの息子は日本人と形のない何者かのハーフということになる。近頃、ハーフではなくダブルであったりと、自己の属性に敏感な世の中であるからこその悩みでもある。
「ママー、お弁当まだー」
愛しい息子が私を急かす。息子はママと呼ぶ。特に深い意味はない。世の中にはお母さんと呼ぶ子もいればお袋と呼ぶ息子もいる。
「はい、もうできるからね」
くだらないことを考えて、お弁当を作るのに時間がかかってしまった。日本のお弁当は海外で絶賛されるらしい。学校のご飯でここまで手の込んだものはない。
「給食じゃないと大変だな」
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カテゴリー: その他
投稿日時: 2024/12/29 13:52
K
色々書いています。