菜摘とママ
死ぬ前に一度だけ…
〈1ヶ月前〉
私は週に一回通っていた病院の先生から余命宣告をされた。
「っ!それって…どういう…」
「長くて半年、早くて3ヶ月後です。」
「そう…ですか」
隣にいた父は声を荒げて泣いていた。父がこんな泣いているのを見るのは初めてだった。
河合菜摘、高校3年生、生徒会長。
遺伝性の病気を持っている。
お母さんが亡くなってから14年。私はまだ幼かっただった。
その時、お父さんは幼稚園まで走って私の教室まで来た。
「菜摘!」
教室にいた先生も友達もみんなびっくりしていた。でも私は誰よりもびっくりした。
自分の父が教室に来ているなんて。教室にきた父は先生に事情を説明し、私をおぶって水橋病院に向かっていった。
病室で目にしたのは驚きのものだった。あの時に感じた感情は今でも覚えている。
「マ、マ?、どうしたの?」
「ママはね、ちょっと夢の中にお出かけしにいったんだって。だからね、菜摘がもうちょっと大人になったらまた戻ってくるんだよ。」って言っていたっけ。
私はその言葉を聞いてすっかり安心したのか喜んでいた。でも中学生の時ふとお母さんのことを思い出して、「まだ戻ってこないのかな?」ってお父さんに聞いたのだ。お父さんは言葉を詰まらせていた。さすがの中学生だ。言いたいことはわかる。でもやっぱり8年間信じてきたことでこの事実を受け入れたくなかった。
「菜摘」
「何?」
「お母さんから手紙が届いてるよ。」
「え、?」
菜摘へ
ママだよ。覚えてるかな?
まだ小さかったもんね、覚えてないか笑
ママはね病気だったんだよ。ごめんねずっと言ってなくて。
ママの病気は遺伝性の病気でね、菜摘もその病気になる可能性があるの。
いきなりすぎてびっくりだよね。でもこれは本当のことなの。
ママもできるなら長く菜摘と一緒にいたかった。
菜摘には本当に申し訳ないと思ってる。
菜摘。ママね菜摘が生まれてきてくれてすっごく嬉しかった。少しだけだったけど一緒にいられて幸せだった。
ママも生きられたならもっと一緒にいたかったな。ママは何があっても菜摘の見方だからね。
ありがとう。 ママより
私はいつのまにか泣いていた。手紙には大粒の涙が落ちていた。
「お父さん…っ」
「なんだ。」
「ありがとう…」
「ああ」
私はあの後お父さんと泣きながら抱き合った。
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