自由人
7 件の小説自由人
はじめまして。自由人です。短編小説から考察記事まで、様々な種類を書いています。 noteも自由人という名でやっています。 アイコンは「竹林のようなブログ」様からお借りしています。
「花盛」
可愛いあの子は心を射抜く それはもう可愛くて可愛くて 可哀想なあの子 そんな貴女が大好きです 天からこの世に落ちてきて ありのままの愛嬌を振りまいて 貴女はそうして大人になる 清いすずらんの香を薔薇に変えて 可愛い子の仮面を被った 多くを望んで捨てていく みんなの真ん中でひとりぼっち それでも笑顔な可愛い子 可哀想な貴女が大好きです 僕が作った鳥籠の中で 小さな羽を震わせる貴女 僕の舞台で踊り狂う小さなことり ことりは姫と歌う、甘い夢に酔いしれて もがいて苦しんで人の海中で 窒息しそうないばら姫 貴女の棘で無色の海に朱が咲く 見えてるのに見てくれない瞳に 今日も涙を流すあの子 「誰かが見てくれますように」って きっとそう願ってる僕のあの子 貴女から流れる甘くて苦い蜜の雫 僕だけのはちみつを スプーンで救ってひと舐めしよう 自分を確かめたくて沢山捨てて みんなのものになったあなたに 今日はひとつのプレゼント 人の海から貴女をさらって 熟れた華と果実を盛り付けて大切に 宝箱の中に閉まっておこう 真っ白いテーブルクロスを引いて 鳥籠と一緒に 机の上に乗せたら出来上がり 華のナイフを用意して 愛のフォークも忘れずに 綺麗で可哀想な貴女を そっとひと口食べてみよう さぁ、いただきます
「月」
強すぎる光は身を焦がす、とは実によくできた言葉である。 その光は、流星や雷のような生ぬるいものではなく、太陽のように、手を伸ばした生き物を、 全て焼き尽くし、涙を流させてしまう。 そんな、生き物の知ることが出来ない摂理で輝く、眩さを持つものを示すのだろう。 では、月はどうだろうか? 彼は太陽の光をなくしては、生きてゆくことが出来ない。 彼は青白く、霧の光をばらまく。 ときにその色は、まだ熟しきっていない桃のように。 私には、月は、手を伸ばせばいとも簡単に 手に入るものだと、そう感じられた。 また、手に入れなければならない。とも。 だから私は、月を刺した。 あれは私が九つか、その辺の歳であったころであろうか。 私は父と母に連れられ、よくとある歴史博物館を訪れていた。 私自身は特段、歴史に興味があったわけではない。 それでも、幼い私が両親に文句を言わず、 博物館を毎週の様に訪れていたのには理由があった。 その歴史博物館には、私のときめきがあったからである。興味関心としてではない。 1人の学芸員に奪われた、ときめきである。 実に不純な動機ではあるが、 当時の私の頭と胸の中からは、どう足掻こうとも彼の存在が心から離れなかったのだ。 彼は大変寡黙な人であった。 かといって、全くもって頭の中が覗けぬような人ではなかった。 展示品について質問をすれば、まるで最愛の人について語るように熱い顔をのぞかせる。 右も左もままならぬ私の様な幼子にも、 尊厳と誇りを持った優しい語り。 青白く細い、儚げな女を想起させるような 手を使い、彼は展示品をうっとりとなでた。 しかし、よく目を凝らすと、節くれだった関節が男の手だと主張する。 子供の初恋のごとき初々しさと、 軽やかな甘酸っぱさに入り混じる 熟れた果実のような重々しく官能的な甘さ。 彼は私に背徳感を抱かせる。 手を伸ばせば届きそうで、それでいて 霞がかった月のように、妖しげな神秘さえも孕んだ黒い瞳。 そこには、冬の空のようにツンと張り詰めた 静寂と痛いほどの透明さがあった。 その瞳の奥からのぞく、ゾッとするほど深い、底のない穴と燃え上がる炎のごとく真っ赤な紅色。 私が彼の虜になるのは、それだけで十分だった。 そして今私は二十を少しすぎた青年になった。 あのころのまま、彼に熱を上げ続けているのかと問われれば、必ずしも肯定の返事をすることは出来ない。 あれから学生時代を過ごし、私は銀行員になった。 もとより、私の両親も政府関係の金融業で働いていたため、私がその道を歩むのは、しかと自然なことであった。 しかし、地方で育った私のような、 帝都と呼ばれる煌びやかな、東京社会に出てままならぬ若造には、博物館を訪れる余裕はなかった。 だからといって、彼への熱は完全に冷めきった訳ではなく、畑を燃したあとの燻った煙のように、私の胸の中に煙い匂いと空気を染み付けた。 そんな私はさらに幸運なことに、地元の支店に配属されたのだ。また、彼に会えるかもしれない。そんな淡い希望を抱き、配属先へと向かった。 田舎というのは、良くも悪くも私に自由の風をもたらしてくれた。 地元に帰ってからはじめての夏、私は再び博物館を訪れた。あれから十数年たっていたため、もう学芸員の彼は残っていないか、現場には出ない管理職についたかのどちらかであろうと思った。私が九つぐらいの頃、彼はもう三十かそこらの歳であったからだ。 童顔で、白磁のような肌の質感と色彩を纏っていたせいで、彼はだいぶ若々しく二十代ぐらいに見えていたのだが。 その日、私は母から彼の名を聞いた。 名は、「椿」であると。 実家で家族と過ごし、博物館に着いたのは夕暮れ時であった。閉館時間に近いが、それがまた、博物館の味を深くしていた。 かつての私のような、幼子の、若葉のような緑の声の気配が微かに残る、しんと静まった長い直線の夕暮れの赤い廊下を歩く。 もみじが流れ、昔、真っ赤に染った川を詠んだ歌がどこかにあったなとぼんやりと思いながら私は、最後の展示室に入った。 扉を開けて、部屋の突き当たりに目をやった時、そこには彼がいた。 私の後ろから差し込む、夕日を受けて、彼の顔が赤く染まる。彼の顔は闇夜の中に咲く、椿のようだった。 20年ぶりほどに彼を見たのに、私の心は想像以上に穏やかであった。それこそ、彼にはもっと深い、毒を持った血の花のような、紅が似合うなと考えてしまうほどには。 彼の口が開く。 「こんにちは。すみませんが、少し眩しいので扉を閉めてくださいませんか?」 光の量が減り、彼の顔に影と天井から蛍の光のような淡いライトが当たる。 「あら……あなたもしかして、 小柳さん……?」 カチッと時計の秒針がなり、世界が止まる。 私の名前を…彼は 「やっぱり! お久しぶりですね。 私のこと、覚えていますか? まだ随分幼い坊ちゃんでしたからね。 何がともあれ、久しい再会なのです。 こちらに来てゆっくり見ていきなさいな。」 彼は私に手招きをする。 そして他の学芸員に何かを耳打ちすると、彼らは私の横をすっと通り、部屋から出ていく。 「もう、そんなとこにぼんやり立っていても何も見えないでしょう? こちらにいらっしゃい。」 彼の手が私の腕を掴み、自然と奥へと足が動き出した。 彼の容姿と手は、彼に手を引かれ室内を回ったあの頃から何も変わっていなかった。 白い肌と、華奢な指と、緑の黒髪。 かつては下から黒い瞳と首筋を見つめていたが、今や上から、小さなつむじと瞳を覆う長くしなやかなまつげを見つめていた。 彼の口が再び空気を含む。 「私、またあなたに会えてとても嬉しいです。 いつまでこちらにいらっしゃる予定なのですか?」 全てを見透かすような黒い瞳が覗きあげ、 私は慌てて前を向く。 言葉を返そうと思い、唇を開けようとすると、気管からどっと空気が流れ、咳となった。 どうやら、長らく息を止めてしまっていたらしい。 乾燥してくっついていた唇に小さな亀裂が入り、微かに口内に鉄の匂いが広がる。 「ここからは少し離れているんですけれど、 実はこの地域の銀行員になりまして。 椿さんはずっとここで?」 私の口から彼の名がこぼれ落ちるのが、むず痒い。 「まぁ、それはそれは。 やはり銀行員になったのですね。 では、またこうして夕暮れ時には博物館にいらして貰えますね。 ええ、そうです。あれから二十年、ほどですかね? もうこの歳になると時の流れが曖昧なのですよ。すっかり老けてしまいました。 ところで、どこで私の名前を?」 にこにこと微笑みながら私に視線を向ける。 「ここへ来る前、母から聞きました。 ずっと前から貴方を知っていたのに、名前は知らないなと思いまして。」 「そうでしたか、お母様から。 いまは変わりなくお元気ですか?」 「ええ、お陰様で。」 「それは良かったです。」 椿さんは展示物の説明をし始めた。 相変わらず展示品を撫でる様は誰かを愛おしむような手つきではあったが、その声は幼い頃に聞いたものより官能的でなく、幾分か優しい、母性溢れるものに聞こえた。 こうして私が再び博物館に通うようになってから数週間がたった。通い始めて何回目であっただろうか。私は椿さんからある誘いを受けた。 「ねえ小柳さん。もしよろしければ、今週末、 夜桜を見に行きませんか? 貴方がこちらを出てからかなり立派な河川沿いの桜並木を見つけたのです。もしお忙しければ構いませんが……」 「いえ、特段大きな予定もないものですから、 私の方こそご一緒させてください。」 「あら、それは良かった。 では私はお酒でも持っていきましょうかね。 実は、ちょうど知人から良い日本酒を頂いたのです。梅と桜の香りの2種類あるのですが、どちらがよろしいですか?」 「私は梅、がいいです。 梅の花が好きなのです。可愛らしくて。」 「承知しました。では、梅を持っていきましょうかね。楽しみですね、小柳さん。」 「ええ、本当に。 晴れて、星が綺麗に見えるといいですね。」 花見を約束した当日、椿さんは薄い鼠色の着物に、緑の羽織で月明かりの下に立っていた。 月の淡い光との境界を溶かしてしまいそうな鼠色に、自然の静けさの美を魅せる深い緑の羽織が、いかにも彼らしかった。 桜の花びらと、着物の袖がふわっと春風に揺れる。風とじゃれ合う彼は柔らかな笑みを浮かべている。 ああ、彼を蝶のように、着物の裾と、羽織の袖をストレートピンで止めて、標本にしてしまいたい。 腕を綺麗に広げ、羽織の羽を伸ばし、鮮やかな黄と黒の混じるアゲハ蝶の隣に並べる。 色合いは鼠色と萌葱色であるから、少しアゲハ蝶には劣るかもしれないが、それでも、光の中には覗けない、影の中での美しさを見せてくれるのだろう。 ガラス蓋をするその直前、きっと彼は閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げ、黒とも言えぬような、形容しがたいあの深い瞳をこちらへ向け、妖艶に微笑む。なんと美しいことか。 許されない行為だ、だめだと、脳内の私の声が聞こえる。しかし、心の私は閉じ込めてみたい。そう叫んでいる気がした。 「ここに来るまでに、ちょうど良さげな場所を見つけたのです。行きましょう。」 椿さんの、しなやかな曲線美を描く少し冷たい指が私の熱を持つ直線的で角張った手を包んだ。 夜もとっぷりと更け始め、叢雲に月が隠れた。 その頃には私たちはもうすっかり酔いが回っていた。 桜を通した青白い光は薄紫に変わり、椿さんを照らす。その後ろで、花びらが風に吹かれる。その儚さと言ったら、この世のものでは表せないほどであった。 月明かりが彼の白い肌を照らしてるはずなのに、私には優しい柔らかな冷たさを持って、彼が光っているように見えた。 ぼんやりとする頭の中を暖かい血液がゆっくりと巡っている感覚に陥る。 かの文豪は、"I love you”を月が綺麗ですねと訳したそうだが、今私は彼を、"I love you”とは訳せなかった。 私が彼に向けていたのは、決して情愛でも、恋慕でも、情欲でもなかったからだ。 ただ、彼の姿をこの目で、私の中の炎が燃え尽きるまで、見ていたいだけであった。 あわよくば、彼を私の手の内へ閉じ込めてみたい。少年が川辺で、蛍を捕まえるように。 私は椿という名の月が欲しい。 手を伸ばせば、すぐ届く距離に彼がいる。 それは大抵、幸せ、と呼ばれるのであろう。 たしかに私の脳は幸せであった。 だが、私の心は彼と幸せを渇望していた。 今はただ、ただ、月が、椿さんが、 欲しい。欲しくてたまらない。 それしか考えられない。 「…椿さん。少し立っていただけませんか?」 自然と、口が動いた。 「あら、どうされました?そんなにも幸せそうな顔をなさって。 ふふ、酔いが回ってしまったのでしょうか。 いいですよ。私もちょうど今、気分が良いのです。」 少しおぼつかない足取りで彼が立ち上がる。 桜が揺れた。 「胸に右手を当てて、なんだか紳士みたいですね。大変男前ですよ。 この白姫を攫ってくれませんか? なんてね。 あはは、冗談ですよ。固まらないでくださいな。」 左手を彼に差し出し、右足を軽く後ろへ引く。 そして恭しく礼をした。 神に祈る、人々のように。 「まぁ、わるつ、とやらでも踊るのですか? 私あいにく西洋のリズムには疎くて…… しっかりエスコートしてくださいね。 それとも……他の何かをするおつもりで?」 彼の顔がゆっくり持ち上がり、月の光を受け止め始めた時、私は、月を一思いに引き寄せた。 抱き寄せた月の感触を感じた時、 右手のナイフが、彼の鳩尾に刺さっていた。 鮮血、とまでは呼べぬ黒の入った紅が鼠色の着物を染めてゆく。 着物が闇夜に溶けてゆく。 羽織の緑と、彼の紅と、青白い顔が 冬の夜に雪の積もった、椿の木のような美しさを放つ。 私の肩に預けられた頭から、こぷっと液体が溢れる音がする。 あれ、私はやっと、月を手に入れられたのか? 月を、刺してしまったのか? 絹のような黒髪が、首筋に触れるのがくすぐったい。かかる吐息があつい。彼の熱を、私は 初めて感じた気がした。 脳が悲鳴をあげ、 こころが、幸せを感じている。 彼が、私の胸の中で、息をしている。 なんと愛おしいものか。 ゾクゾクするほどの高揚感と、甘さと快感が私に夢を魅せる。媚薬のようなその甘さは、私の体を駆け巡った。 今の彼を見てならきっと、私はI love you と叫べる。心の1番深い深いところから、愛おしさが湧き出て仕方がない。 親愛も、恋情も、情欲も、何もかも一纏めにして、私の愛を、彼に今すぐ伝えても足りない。椿を、枯れることの無いまま、一生手の内に閉じ込めたい。 ああ月よ、どうかいつまでも私の横で、中で、傍で、光り続けていてくれ。 私を柔らかい微かな光で、照らしてくれ。 この光は永遠に、消えてはいけない。 光続けねばならない。 彼の背に添えた左手を自分の元へ寄せる。 肩の方からさらに音がした。 ナイフを持った私の手を、節くれだった手が、 包み込む。 「小柳さん…… 無くなってしまってはいけませんから、私から ゆっくりとナイフを引き抜いてください。 ……抜けたら、川で洗ってらっしゃい。」 耳元で彼の低い声が私の心の底を地鳴りのように震わせた。 その瞬間、パンっと弾かれたように私は現実へと戻った。 脳へ多量の血液と酸素が流れ込む。 右手は、赤く染ったナイフが、肩は生暖かさが残っている。 刺した月の中からは、熱い液体と、留めておくには眩しすぎる光が出てきた。 私に月は、明るすぎる。 私が見た月は、もっとぼんやりとした、冷たい目をこらしたような光であったはずだ。 荒波のように、恐怖が押し寄せる。 私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。籠の中の蛍は全て死んでしまった。 私は彼の前には居られず、震える足に鞭をうちながら、川へ向かう。 ナイフには柄までべっとりと、濃い口紅のような赤がついていた。 全身の熱が抜けてゆく。急いでナイフを川につけた。指が切れるのも構わず、ナイフを洗う。 川を赤く染めるものが、私の指からなのか、それともナイフからなのかわからなくなった頃、 川には突然紅葉が浮かび始めた。 水に溶けた赤色の上に、橙赤色の紅葉が、川一面を覆う。これは夢を見ているのか?そう自問したくなる程に驚きと少しの昂りが隠せなかった。 対岸から、その葉の上を、白い着物を着た、椿が渡る。長いまつげが目を隠し、はねた雫が月の光を鈍く光らせる。 正確に言えば、あれは椿でないのだろう。 だか、私の中では椿であった。声が奪われる。微かに開いた口が塞がらない。 私の前で、それはゆっくりと低く中性的な声で告げた。 「よく聞きなさい。 私は貴方に刺されたことについて、恨みを持っているわけではありません。貴方への愛も、私の中ではずっと燻り続けています。 それに、私は本当のことを言うと、 あなたが誰を傷つけようとも、かまいません。 たとえどんなに平和な世だと謳っても、人はいずれ死んでゆくのですから。人には等しく終わりがあります。 しかし、これだけはよく胸に刻んでおきなさい。 他人を傷つける時は、傷に値するほどの、 相当な覚悟と、あなたであり続けるだけの精神を持ちなさい。 それがないうちは、どんなことも 決して、あなたが人を傷つけて良い理由には、なりません。 ですが、相応の覚悟と理由をもちあわせていれば、きっと、神様か何かがあなたへ、それなりに人としての終わりを与えてくれるでしょう。 私も、貴方へいつの日か、対価相応の代償を差し上げます。」 紅を引くように彼の爪が軽く唇に食い込み、 すっと横へ引かれた。 ようやく私は自分が何をしていたのか、気がついた。月はもう、手に入らない。 太陽のような光がなくても、月は私に火傷をおわせた。私に、月を愛でる力は、なかった。 ぽたりと私の血がもみじの川に赤黒い水紋を作った時、さあっと霧雨が降り、桜の浮かぶ桃色の川に戻った。 青白い月の光を桜の上の一滴の雫が吸い込み、淡く桃色に発光する。 それはまるで、美しく浮世離れした、神の涙のようであった。 あれから数十年の歳月が経ち、私は床に伏していた。あの日以来、私は博物館足を運ぶことはなかった。 あれほどの重罪を犯したのだから、なにか報いがあるのかもしれないと思っていたのだが、ここまで、特に代償だと考えられることはなかった。 銀行員としてそれなりに成功し、妻子にこそ恵まれなかったが、いつも私の脳は幸せだと心に知らせていたのだ。 しかし、それでも彼のことは頭から離れなかった。彼の温かさと瞳が私にまとわり続けている。 ある春の暖かな陽気が窓から差し込む日、 女中が私に告げた。 「旦那様、お客様がお見えです。 依頼していた展示品を受け取りに来た、ということだそうです。 少し小柄な、鼠色の着物に、萌葱色の羽織を合わせた方です。通しますか?」 「ああ、すまない。この部屋まで通してくれるか?私はこのままでいい。なぁに、昔からの知り合いさ。心配することはない。」 鼓動が異常に早まる。息が詰まる。 彼の足袋が敷居をまたいだ。 黒い底なしの瞳と、目が合った。 「お久しぶりです。小柳さん。 私のこと、覚えていらっしゃいますか? もう、すっかり青年でしたものね。」 あの夜から抜け出してきたかのように、 彼はまだ、生き物の摂理を超えた美しい姿だった。 「何を、お渡ししましょうか?」 「あの時の代償を、頂きましょう。」 彼は枕元に膝をつき、傍にあったナイフを手に取る。いつか、彼にまた会うことができたなら、許しを乞うことができるなら、また使おうと思い、肌身離さず持っていたナイフ。 「あの時は少し驚きました。まさかベストの胸元からナイフが出てくるなんて。 着物なら分かりますけれど、ベストから出されたのは初めてでした。 きっと私のことが欲しい、傍で飾りたいと思って刺したのでしょう? その気持ち、よく分かります。 ああ、安心してください。これで貴方を刺したりはしません。代わりに……」 私の胸元に、1輪の椿の花を滑らせた。 彼は私の布団を、どこからか取り出した紅葉で覆い始める。それはまるで、胸に椿を咲かせる、私の体を運ぶための儀式であり、かつてのあの川のようでもあった。 私と布団は、どんどん紅に染まってゆく。 「仕上げに、これを差し上げます。 貴方が梅が好きだと言っていたので、作ってもらいました。大切にしてくださいね。」 紅白の梅の飾りが手からこぼれ落ちながら、私の髪に簪が刺さる。 「お恥ずかしながら、今日は貴方に、大切なお話があるのでやってきた次第です。 代償の話もそうなのですが……」 椿は恥ずかしそうに頬を赤らめる。 黒いうっとりとした瞳に薄く桃の色が差し込み、軽く咳払いをした。 覚悟を決めた乙女のような顔をこちらへ向けた。太陽の光が彼の後ろからさす。 彼の唇が震える。 「あともう1000年、わたしのそばで 飾られてくれませんか。」 プロボーズにも似た月の風は、私の中の灯火を静かに消した。
「スノードーム」
どこか遠くから、僕を呼ぶ声がする。 ああ、暖かい。 ずっとこうして、 大好きな腕の中で微睡んでいたい。 「ジャック! 起きて!」 雪解け水のなかから、植物が芽を出すように、 徐々に意識が浮上する。 なに、イワン? 僕すごく気持ちいい夢を見ていたんだ。 なんだか、ちょっと怖いけど、懐かしい 優しい暖かい夢。 イワンも一緒に寝ようよ。 僕は弟のイワンに声をかける。 うまれたときから、ずぅっと一緒。 「なに? 一緒に寝たいの? だけど、俺、 今から友達と遊びに行く約束があるんだ。 せっかく吹雪もやんだから、行ってくるよ。」 うん、わかった。 僕は、 まだもう少し、もう少しだけ この暖かいなかで眠っていたいな。 「そっか、じゃあ、俺は行ってくるね。 夕方ぐらいには帰ってくるよ。」 うん。気をつけて行ってきてね。 僕は頭の真上に登った、 太陽の光を浴びたイワンを見送る。 玄関から見えたのは、あたり一面、 光を吸収して輝く、ダイヤモンドのような 息を飲むほどに美しい銀世界と、 イワンの背中だった。 吹雪の後の雪はいつも、僕の元へ キラキラした世界と、 ひまわりみたいなイワンの笑顔を 連れてきてくれた。 暖炉の前で微睡んでいた時、 ガタッと窓から音が聞こえた。 イワン帰ってきたのかな? ……まだか。 窓の外は、 すっかり燃えるような金色に染まっている。 暖炉の中の炎みたい。 もうそろそろで日も落ちるし、 イワンを迎えに行こう。 暖炉のそばの小物置き場から、 イワンのランタンを手に取る。 小物置きには、雪化粧をあしらった 小さなスノードームがあった。 あぶない、落とすところだった。 僕はドアの外へ、勢いよく飛び出した。 サクサクと雪を踏みしめながら、 僕は、暖炉の前で交わした いつしかの会話を思い出した。 「最近俺はね、隣町の子と遊んでるんだよ。 俺たちの町は子供が少ないでしょ? だからね、向こうの子達と仲良くしてもらってるの」 そうなんだ。たのしそう。 何をして遊んでるの? 「ソリに乗ったり、ちょっとした 『ぎしき』っていうのをやってるんだ。」 ぎしき?なぁに、それ? 「俺がみんなと仲良くなるためのおまじない。 俺が ぎしき をするとみんな喜ぶんだ。 ちょっと痛いんだけどね。 仲良くなれますようにって願うの。 隣町の近くに、小さい森があるでしょ? そこでやってるんだ。」 そっか。僕も行ってみたいな。 「俺がもっとみんなと仲良くなったら、 ジャックも連れて行ってあげるね。」 やったあ!楽しみにしているね! イワンがいるのはあの森かな? 思ってたより遠い森だなぁ。 でも、あんまり大人の人が入らないから、 秘密基地みたいになってるのかも。 はやくイワンに会いたい。楽しみだなぁ。 どこにいるんだろう? そうだ、名前を呼べば気づいてくれるかも。 イワーン! イワーン! ……聞こえてないのかな? もう1回呼んでみよう。 …あれ? また、雪が。 吹雪になる前に、早く帰らないと。 夜の吹雪は危ないし、怖いや。 イワンどこかな。 この森なのは間違いないと思うんだけど。 あっ、いた! イワン!!迎えに来たよ! 早くお家に帰ろう! なんでうつ伏せになってるの? あっ、こんにちは。 あなた達は、イワンの友達? 「誰だお前。 もしかして、イワンが言ってた 『大事な兄貴』ってやつか? 随分みすぼらしい格好をしてるんだな。」 そんなことないよ。 それに君たちも、もうすぐ日が落ちるから、 早く家に帰った方がいいよ。 夜は危ないよ。 「なんて言ってるんだこいつ。 まあいい、俺たちはイワンと 『お遊び』をしてるんだ。 邪魔すんじゃねぇ。」 遊び? ああ、イワンが言ってたやつ!! 僕も混ぜてよ! 「おい、イワン、お前の兄貴に 『ぎしき』、 見せてやれよ。喜ぶぞ。」 ぎしきやるの? みたい! 君たち、すっごくいい笑顔だね。 「よし、イワン。 ぎしき、だ。」 ゴンッ …なんで、イワンの額を、木にぶつけたの? イワンいたそうだよ? ポタっ 額から血が出てるじゃないか。 雪が赤く…… ゴンッ ねぇ、ほんとにこれ、 ぎしきってやつなの? そんなにイワンのかみ、引っ張んないでよ。 「ジャック……家に、かえってくれ。」 イワン?僕はただ、イワンを迎えに…… 「おねがいだ。俺らは、ただ、 たのしくあそんでるだけ…なんだ。 かえってくれ。 おまえはまた、あとでくればいい。 こんなばしょは、おれのすがたは、みる な。 おねがいだから、かえってくれ。 これは…みんなとなかよくなるために、 おねがいだ。」 「何喋ってんだ?イワン? 俺はいつ、喋っていいって言った? まだぎしきの途中だぞ? 大人しく黙ってろ。」 イワン?本当に、彼らは友達、なの? これが友達になるための、ぎしき、なの? やっぱり違うよ。 こんなのは、友達じゃない。 ただの…… イワン、僕思うんだ。 イワンは悪くないよ。 イワンはいつも頑張ってるよ。 なんかいも、なんかいも。 ねぇ、どうして人って、 みんなで 仲良く、幸せに、暖かく 僕たちみたいに暮らせないんだろうね。 もし、みんなが仲が良かったら。 もっと幸せだったかもしれないのに。 僕は幸せな世界で、イワンと暮らしたい。 だからね、 仲良くなれない子はいらない。 イワンを傷つけるやつはいらない。 僕のイワンを、 まっしろい雪を赤く染めるような子は、 世界のどこにもいらない。 雪みたいに、どこかへ消えてしまえばいい。 そうだよね? イワン 雪が赤く染まった。吹雪が吹き荒れる。 ブシッ 「いってぇ!! なにすんだ、このクソが!!」 何って… 君たちをちょっとどこか遠いとこに送るだけ だよ。 悪い子だから、噛んだだけだよ。 「ふざけんなよ! 調子にのってんじゃねぇ!」 バキッ いたい。いたい。いたい。 イワン…… ねぇ、君たち、お腹はけっちゃだめだって、 お母さんに教わらなかったの? やっぱり、悪い子だね。 「おい、おまえら! こいつボコすぞ! 二度と弟の顔みれないようにしてやる。 絶対逃がすなよ!!」 僕だって、お前らを、二度と、 イワンの前に立てなくさせてやる。 悪い子は、おしおきしなきゃ。 日が、地平線の向こうへ落ちたとき。 僕は、あいつらを倒した。 体はもうボロボロで、 歩くこともままならない。 吹雪が体に氷柱みたいに、突き刺さる。 動く度に、体からギシギシと音が鳴る。 いたい。あつい。血が、でている。 はやく家に、帰らなきゃ。 このままだと、いのちが。 イワンは? あぁ、無事だ。 急いで、血、とめなきゃ。 からだがうごかなくなるまえに。 あとちょっとだから。 イワン……いしき、が あとすこしだけ、ほんのすこしだけ。 次に僕が目を覚ましたのは、 吹雪がやんでからだった。 あれ、助かったの? イワンも僕の隣で寝息を立てている。 ああ、ぼく、 ちゃんとイワンのこと守れたんだ。 よかった。 イワン、ほんとうに無事でよかった。 「あれ…ジャック? 無事だったの! よかった、ほんとに。」 イワン!目が覚めたんだね! 歩ける? 僕ちょっと足を怪我してて歩けないかも。 血が結構出ちゃったみたい。 でも、大丈夫! 引きずって帰ればなんとかなるよ! あぁ、また雪だ。 今度の雪は、やさしい雪だね。 ふわふわしてて、あったかい。 ずっとこのまま、寝ていたいな。 これから先も、ずっと、 イワンのあったかい腕の中にいたい。 でもそれだと、お母さんたちが心配するかな? もう夜も更けてる。 やっぱり、暖炉の前で 僕を、イワンの腕の中にいさせて。 さあ、イワン。 家へ、帰ろう。 僕たちの、幸せな世界へ。 ふたりが家へ帰れたのは、翌朝ことであった。 顔は穏やかで、幸せに満ち溢れた、 ひまわりのような笑顔で。 しかし、 2人の体は、まだ、森の中にあった。 暖炉のそばの、テレビから、ニュースが流れる 無機質な、女性アナウンサーの声が、響く。 「今朝、都市郊外の森の中で、 1人の少年と、犬が、 互いに抱き合った姿で発見されました。 死因はまだ特定されてませんが、 彼らの体には、複数の傷跡があり、 警察は犯人を調査中です。」 暖炉のそばのガラスのスノードームが、 静かに音を立てて床に落ちる。 割れたちいさなスノードームから やわらかな白い雪と、 幸せそな1人の少年と、犬がでてきた。
「声の庭」
私はごく普通の人間である。 愛する家族の元に生まれ、 幸せな幼少期を送り、家族に恵まれた。 のどかな田舎で、家族との幸せな日々を送る。 この普通は、 世の中のありふれた幸せを全部、煮詰めた 甘いジャムのようなものだろう。 私の家のそばには、たいそう立派な 屋敷がある。 中はよく分からないが、一年中、 柵の隙間から、何かしら美しい 色とりどりの花が顔をのぞかせている。 春だろうが、夏だろうが、秋だろうが。 冬だろうが。 その家の持ち主は年老いた男であった。 なんと彼は、数十年前この国で起きた あの、戦争で戦士として活躍していたそうだ。 大変名誉なことである。 だが、私にはその名誉の重さが、 ふわふわしたものにしか感じられなかった。 戦争を経験したことの無い、平和ボケした 若者であったからだろう。 教科書でしか、触れることの出来なかった 戦争の重みは、体験者とはとても、 重ねられぬものである。 年老いた男は花1つ1つに声をかけながら 育てているというのだから、 やはり、立派なものである。 私がその家の前を通るのは、 大抵、私の息子と公園に行く時であった。 左手を息子とつなぎ、息子の笑顔を覗き込む。 息子の後ろに柵の隙間から花が見えた。 想像以上に美しい花だ。 息子と共にいるから、 そう見えるだけであろうか? 自分も、思っていたより親バカというものなのかもしれない。 空を見ながら私は苦笑いをする。 そうして、私達は今日も、 公園へ向かうのだ。 年老いた男の庭からはいつも声が聞こえる。 綺麗だね。 大切に育ててくれありがとう。 愛しているよ。 元気に育ってね。 太陽の光が降り注ぐように、庭からは 慈しみと、愛と、優しさの温度を感じる 声が聞こえてくる。 その優しさと暖かな温度に触れて、 私は妻と息子にいった。 「いつも愛してる。 これからも幸せな日々を送ろう。」 ある夜、私は帰宅が遅くなってしまった。 断固としてなにか、やましい、 良くないことをしていた訳ではない。 会社のトラブルが予想以上に、 大きくなってしまったのだ。 早く家に帰りたいのに。 こんなにも遅くまで残らせるなよ。 息子はもう寝ているだろう。 くそっ。 こころの中で愚痴愚痴と文句を言う。 実に私らしくない。 やはり、近道をして帰ろう。 あの庭のある家の前を通れば、いつもより 数分だか、早く帰れるだろう。 足早に庭の前を通り過ぎようとした時、 庭から声が聞こえた。 あの爺さん、こんな時間に作業してるのか? もう夜も更けているのに? 足を止め、柵にそっと耳を近づける。 苦しい。 助けて。もういやだ。 どうして私を捨てたの? あんなにも、 愛してるって言ってくれたのに。 よくも仲間を、おまえなんか、おまえなんか。 刹那、耳をはなした。 背筋が凍る。 なんだ、これは? 誰の声だ? なぜそんなにも、憎しみに溢れている? 柵の隙間から、暗闇から無数の手が、 私に向かって伸びてくる。 傷ついた男の手、華奢な女の手。 どこかで見たことがある気がした。 誰の手かははっきり見えるのに、 誰の手だか、わからない。 この気持ちは感じたことがある。 愛おしさをもった、大切な人への 憎悪の手。 それが私の手に触れかけたとき、 やっとの思いで正気に戻る。 逃げねば。 本能的にそう感じた私は、 破れんばかりの鼓動をする胸を押え、 足をもつらせながら家へ帰った。 その夜は一睡も出来なかった。 家に着いた時、恐怖が私を支配していたが、 それよりも朝を迎えた今、私は、 あの声の主が知りたかった。 いったい誰が、いや、 なにがの方が正しいだろう。 あんなにも狂気と悲しみに満ちた声を 上げていたのだろうか? 会社へ向かう前、 私はあの家の庭に立ち寄った。 どこか不思議な、 なんとも言えない感覚は残っているが、 昨晩のような恐ろしい気配は感じられない。 思い切って私は、年老いた男に尋ねる。 「失礼ですが、Sir、私は近隣のものです。 貴方の庭から聞こえてくる声が どうも気になりまして。 …いったい、どなたの声なのですか?」 白い髭をはやした水気のない口が、 ゆっくりと開く。 彼の後ろにはみずみずしい、 鮮やかな花が顔をのぞかせる。 「この声は、かつて私が愛し、 冷たくしたものたちの声であります。 手向けに、と思い育てているのです。 貴方も、庭を、見ていかれますか?」 私は迷った。 足を踏み込むか否か。 この年老いた男が、「誰を」花にしたのか。 それを知ってしまったら、きっと私は、 この庭を美しいとは思えなくなるだろう。 知らなければ、この男は、 村の、国のために果敢に命を削った英雄だ。 「…いえ、結構です。」 「そうですか。 お仕事に行かれる途中だったのでしょう? 気をつけていってらっしゃい。」 「はい…いってまいります。」 扉のそばにあった札が目に飛び込んだ。 『ジョシュ 1960年: ナイフ 戦地で見捨ててしまった我が友。 どうか見捨てないで。』 『マリア 1954年: 花瓶 私に愛をくれた人。 もっと愛してあげたい。』 きっと私はこの幸せに溢れた痛みを、 一生、忘れることは 出来ないのだろう。
「うつくしいもの」
ある日、女は男に問いかけた。 「人であるってどういうこと?」 向かいにいた男は答えた。 「人の見た目をしていて、 心を持ったもの。 それが人じゃないかな?」 黒曜石のような女の目が、男の姿と、 テーブルのうえの植物を反射した。 「じゃあ貴方は 、 人の見た目と “なにか”のこころを持ったものも、 人と呼ぶのね。 でもきっと、世間はそれを “ばけもの”と言うわ。」 熱を持った男の手が、 冷たい女の手を撫でる。 女の手は男の温もりを奪っても まだ、冷たい。 「人のこころを持っていればいいんだよ。 君のような美しいこころに触れて、 君の鼓動を感じるとき、 僕は人でいられるよ。」 「たとえそれが、 人のこころを、まねたものでも?」 男の、やわらかな黒い目が、 女を映した。 人は、自分の中にある何かを超えた、美しい “なにか” に畏れ、心奪われ、惹かれるのかもしれない。
「ヒーロー」
俺はヒーローだ。 完璧で、明るくて、悪を蹴散らす みんなのあこがれ、世界のヒーローさ。 今日はそんな俺の、 昔話を少しだけ聞かせてあげよう。 しっかり耳に焼き付けるんだぞ。 準備はいいかい? 俺が無邪気で、明るい素直な少年だった頃、 俺の夢はヒーローになることだった。 正義の鉄槌で、悪を蹴散らす! なんて素晴らしことだろう!! この世の悪はみんな、俺がやっつけるんだぞ! 「君はまるで正義のヒーローみたいだね」 俺を見つめるキラキラした友達の眼差し、 暖かい愛の温度をもった親の眼差し、 その優しい幸せのなかで 本当に正義のヒーローに俺はなれる。 悪いやつは俺の正義で倒すんだ。 そう夢を見ていたあのころが懐かしい。 時が経って、俺は大人になった。 もちろんヒーローになったし、 誰から見ても、無敵でかっこいい ヒーローだった。 俺が悪を倒すたびに、人々は言った。 「ヒーロー、助けてくれてありがとう!」 「ヒーローだ!! やっぱりかっこいいなぁ」 感謝の言葉が、憧れの声が、尊敬の眼差しが、 緑雨のごとく、俺のこころを潤した。 そうさ!俺は完璧な世界のヒーローさ! 俺にかかれば、世界にはすぐ、 平和で優しい幸せが訪れるぞ! そんな子供のような無邪気さをもった姿で夢を、 俺は追い続けていた。 でもある日、男が俺に言った。 「何がヒーローだ! お前の正義とやらのせいで 俺の夢は、家族との幸せは、 全て壊された。 俺にはお前がヒーローにはみえない。 まるで弱いものを殺す、ヴィランだ。 お前にヒーローを名乗る資格はない」 俺がヴィランだって? 冗談はよしてくれよ。 ただ、悪である君たちを、 正義でやっつけただけじゃないか。 それのなにがいけないんだ? 俺の 正義は、強さは、 憧れは、感謝は、尊敬は。 一体なんだって言うんだい? 今までの俺の全ては、 みんなからの暖かさは、 俺にとっての正義は、 偽物だったとでも言うのか? 悪役としての人生だったと言いたいのか? いや、ちがう。 俺はヴィランなんかじゃない。 世界のために生きる正義のヒーローだ。 もし、これが悪なら俺は_ 物陰にいた、 あどけなさの残る男のむすめの目に、 俺が映った。 俺の姿は、少女の涙でゆがんでいた。 俺の、ヒーローになりたいという 子供じみた無邪気な夢は、 小さな幼き少女の目に、涙をためた。 そんな男がどうして、 世界の、正義のヒーローだと名乗れようか。 俺の中で、何かが崩れる音がした。 その音は、正義が悪を倒すときにとどろく、 鉄槌の音によく似ていた。 涙の奥から見えた少女の瞳が、 俺の正義を貫いた。 その日俺は、 本当の正義のヒーローは、 この世にはいないことを知った。 正義の鉄槌を振りかざし続けることはときに 人を傷つけ、悪とヴィランを生む。 正義と悪は紙一重なのだと、 世界に通用し続ける正しさはないのだと、 俺は知った。 でも、俺はそれを 正義のヒーローにならない理由には、出来ない。 俺のなかの正義は俺を奮い立たせ、 世界を変えようとする力になる。 それが悪となって俺の心に傷をつけても 後ろ指を指され、背中に傷をつけても、 世界のヒーローとして生きてゆくため、 俺は前を向く。 俺はいつまでも 何を捨てても、痛めても 子供のように 輝かしい、あこがれに満ちた、 無垢で等身大の世界を 「世界のヒーローとしての俺」 として生きていきたい。 だから俺は、今日も世界のヒーローでいるのさ。 それが俺の選んだ、俺らしい生き方だからね。
「仮面舞踏会」
扉の隙間からこぼれる 優雅でやわらかなワルツと、 コツコツと鳴る俺の足音が、 柔らかな月の光を、 水面にうつしだす海のような 鏡の廊下に、響いた。 扉を押し開け、シャンデリアの輝きが眩い会場に 俺が足を踏み入れたとき、 無数の視線と息をのむ声が聞こえた。 ざわめきのなかで、 刹那に沈黙のヴェールが降りる。 鏡の回廊から差し込んだ どこか妖しく揺らめく青白い月光は、 滴る血の残光のごとく、 俺の影を床に落とした。 俺が足を踏み出したとき、 再び会場に ざわめきと人々の熱気が満ちた。 そう、君に誤解しないでおいて欲しいのは、 一瞬の静寂をおこしたからといっても、 どれだけ美しく、 人ならざるものに見えたからといっても、 俺は特段、爵位の高い貴族でも、人でもない なんてことはないってこと。 タキシードが相当な上物だとか、 仮面が時代の最先端を走る斬新なものだとか、 そんなこともない。 ただ、俺には1つ秘密があるんだ。 きっとそれが、皆の目に 俺を、妖艶に、神秘的に、 そして狂気的に見せたのだろう。 何を隠しているか、知りたいかい? 君が仮面を外して、 その美しい瞳を見せてくれたら、 俺の全てを教えてあげよう。 そうだな、せっかく秘密を話すのだから、 庭のバラ園で話さないかい? 俺のお気に入りの場所なんだ。 バラの花のような君に、 きっと気に入ってもらえると思う。 それじゃあ、移動しながら少しずつ話そうか。 「ムッシュー、私と踊っていただける?」 白ユリのような無垢な女が、俺に声をかけた。 「もちろんです。マドモアゼル。 貴女に、 二度と忘れられることのできない 美しい夜を、 プレゼントさせてください。」 静かに、オーケストラの演奏が始まる。 軽やかなワルツにあわせて、 俺たちは会場を踊る。 絹のような金色の髪を纏った 彼女の細い腰を抱き、 白粉でぬられた青白い顔を見つめる。 今にも消えそうな細い、 まるで青ユリの女神のような 儚い彼女の姿。 でも、どこか 瞳だけが月光を反射して鋭く、光っていた。 ふいに、淡い紅をのせた可憐な唇が動いた。 「貴方を見ていると、 なんだか不思議な気持ちになるの。 うまく言えないのだけれど、 なにか、奥底にあるなにかを守ろうと 分厚い仮面を被っているみたいな…… 決して貴方を疑ったりしているわけでは ないのよ。 嫌な気持ちにさせてしまっていたら ごめんなさい。 でも、 なんだか噂のあの人に似ている気がして……」 「噂のあの人? それはいったい、どんな方なのです?」 「仮面舞踏会に、 月光を纏って現れる伯爵のことよ。 彼が現れた仮面舞踏会の翌朝には 必ず、1人の女性が1輪の花を刺されて…… 花のように散らされているんですって。 初めはみんな、 彼が犯人だ。捕まえろ! なんて言っていたのだけれど…… 仮面舞踏会で顔もよく分からないし、 彼が月光の元に現れたあと、 どこにいったのか みんな見ていたのに、わからないの。 まるで不思議な魔法をかけられたみたいに。 でもね、そんな彼について1つ、 確かなことがあるのよ。 それは、薄い紫の瞳を持っていること。 この国ではかなり珍しいでしょう? だから、女性の間ではこんな噂があるの。 仮面の下を覗いた時、 紫の目を見つめてしまった人は、 その人に似合う美しい1輪の花で刺されて、 死んでしまう。 彼が本当に犯人なのかはわからないけれど。 でも、見つからない以上は噂でも、 少しは信じてみようかなって 思ってしまうの。」 ステップが加速し、世界の音が 大きくなる。 「貴女は実に聡明で心優しい女性だ。 そんな事件があっては、 相当怖い思いもされているでしょうに。 それでも噂に流されず、 慈悲の心を持つ姿はさながら、 高潔な美しい青ユリのようだ。 もし、 貴女が夜を越えるのが不安でしたら、 私をそばにおいてくださいませんか? 必ずや貴女をお守りいたします。 私の瞳が紫でなければ、 安心して夜を過ごせるでしょう?」 「ありがとう。とてもいい考えね。 そうしたら、 あの大きな花瓶の近くで、 互いに仮面を外しませんか? 少し暗い方が、周りに顔が見られずに 済むでしょう? 仮面舞踏会だもの、 色々な人に顔を見られる訳にはいかないわ。」 俺と彼女は仮面を外した。 「貴方の瞳が紫でなくて、ほっとしたわ。 その青い瞳、とても神秘的ね。」 「お褒め頂きありがとうございます。 私自身も、 この瞳の色はとても気に入っているのです。 まるでアレキサンドライトのような、 輝きと色合いでしょう? それに、貴女の緑がかった青い瞳も、 グリーンサファイアのようで、 大変美しいですよ。 ますます、 貴女の美しさに惚れてしまいそうだ。」 あともう少しで到着だよ。 なんだい? その後、彼女はどうなったかって? それがね、 俺が護衛を終えて離れたあと、 彼女は死んでしまったんだ。 月明かりの下で。 もし、俺が最後の最後まで、そばにいたら、 彼女の運命は変わっていたかもしれない。 俺は彼女を殺した犯人がにくいし、 同じ過ちはもう二度と、繰り返したくない。 だから今夜は 絶対に、絶対に、絶対に 君を他の人の手に触れさせたりはしないよ。 やっとバラ園についたね。 さあ、仮面を外して俺に、 その愛らしい瞳を見せてくれ。 薄い紅がかった、アーモンドのような茶色。 まるでアルマンディンガーネットみたいだ。 ふふ、やっぱり、 俺の思った通りの瞳だね。 美しいなぁ。 こんなにも愛らしく純粋なマドモアゼルが、 素顔を見せてくれたんだ。 俺も仮面を外そうじゃないか。 俺の瞳の色は、 神秘的な青い瞳だよ。 月明かりの下で紫に輝く、ね。 あぁマドモアゼル。 君は俺の心の中で、いつも、いつまでも 咲き誇る、美しいバラさ。 朝になっても、枯れてはいけないよ。