awa.

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新社会人、もう辞めたい

満腹

腹がすいた だが不思議と何かを食べようと思わなくなった それを知らない母は、当然私の分のご飯を作る 温かさを思わせる湯気が食卓を包む 家族には言えていないから、仕方なく食べる 米の味がしない いや、味はするし匂いも分かる しょっぱい、甘い、酸っぱい、苦いも分かる でも食感だけ口にある感覚 まるで粘土を水浸しにした物を噛んでる気分だ 揚げ物、弾ける何かが歯の神経から伝わる 味噌汁、水もどきのような物を飲み干す 口にあったものが喉を通って腹に溜まっていくのが分かる 「ご飯おいしい」と言ってみたが 心がどうも違和感を覚えるようで共感してくれない 空っぽだった胃が満たされた ただ、私はその感覚に気持ちの悪さを感じた すぐに腹が痛くなって蹲る 結局、また空っぽになって 今はこれが落ち着くのかもしれないと そう思うしか無かった

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不満と罪悪感

今日、会社をサボった 腹痛と嘔吐で休みたいと連絡を入れた もちろん嘘だ 体調不良を利用するのは今月に入って三回目になる 入社して三カ月目 四月と五月は休もうと思う気すらなかった 六月になって、周りを見る余裕が出てきたからだろうか 私を取り巻く全てに突然嫌気が差した 昨日、退職した人がいた 去年の七月に入社してそろそろ一年になるところだった その人は私が入社した時に 「私もまだ未熟ですが、お互い頑張りましょう!」 と言ってくれていた きっと優しい人なんだろうと思った その人の周りには、技術を十分に教えてくれる人がいなかった それでも、その人なりに頑張っているのが私でも分かった 周りの意見が重要な仕事なので、厳しいことを言われることがある プロとして仕事をするわけだから、仕方ないと言えばそうなる それでも今思えば、もう少し伝え方があっても良かったはずだった 私からしたら、辞めてしまうには十分な理由だったと思う 結局その人は本格的に輝く前に辞めてしまった その人が辞めてしまった後で会社の人が 「可哀想なことをしたかもしれない」 「誰も教えてくれる人がいなかったのは、しんどいと思う」 と言っているのを聞いた 私は、今更何を言っているんだと思った なぜその言葉を本人に言ってやらなかったのか 前からそう思っていたなら何かできたのではないか 私が知らないだけで どこかの節目にちゃんと話をしたのかもしれない それでも「仕方なかった」で済ませていい話なのか、と思いを巡らせてしまう 「具体的に何をすればいいか」というのは 会社が何を出来るのか分からない私では、ハッキリ言うことは出来ない それでも、 いつか私も様々なことを言われるようになって つらくても一生懸命自分なりに頑張って 「やっぱりつらい」って心が折れて その人のように一年も続かないようなことがあるかもしれない そう思うと、私は本当にここにいて大丈夫なのか 会社という組織に存在してもいいのか 考えずにはいられなかった その人に比べたら、今の時点で私が「つらい」というのはおかしいと思う 私には周りに教えてくれる人が沢山いる 相談があれば真摯に向き合ってくれる 仕事を覚えている最中でしんどいことがあるのは当たり前だ それを分かっててサボっている私は「甘えてる」と言われて当然だ 先日、会社の偉い人に 「あなたはまだ学生チック」と言われてしまった 私の何がどう学生気分だと言いたいのか、詳しくは分からなかったが 少し馬鹿にされたように感じた まだ会社で見せきれていない私の中身を 見せる前から否定されたような気がして傷ついた 「気遣い、心配りを心がけてね」 私にそう言ったくせして、お前はどうだ その言葉をかけられた人がどう思うのか、お前は想像したのか 想像した上で出てきたのが、その言葉なのか 「新しい世代の価値観を知っていけたらいいと思う」 そう言っていたのは嘘だったのか こういう価値観が「学生チック」だと言うのだろうか そうであれば、私は期待しすぎていたのかもしれない 「この人達は分かってくれるかもしれない」と 壊れ物を扱うような優しさが欲しい訳でも 特別扱いをされたい訳でも 特例でずっと休ませて欲しい訳でも 先輩社員と会話をしたくない訳でもない こんな私のどこかを見込んで入社させてくれた人へ 恩返しを兼ねて、会社へ貢献しつつ自分を表現できたらいいと本気で思った かと言って、本音を話す時に涙が出るほど しんどい気持ちを我慢してまで仕事をしたくない 今の少子高齢化社会、子供も若者も少なく企業は人材を欲している そんな中、どうしてその人材を潰すも同然のことをするのだろう 時代の流れは、遅いようで早い 例えば、今の二十代と五十代では価値観が全く違うのが分かるだろう 一人一人が違う人間で個性があるのに、時代背景まで個性があるとなれば お互いの歩み寄りが必要な事は分かっているはずだ どうして、口先や建前で済ませようとするのだろう 昔の常識が、二・三十年経っても通用するとでも思っているのだろうか 今までのことが問題視されて、改ざんされてきた所を見ているはずだ どうして、根本から見直そうとは思わないのだろう どうして、その問題に目を向けずに人が去ったあとに後悔するのだろう 今感じている違和感を無視することが「大人になる」と言うなら 私は大人になりたくないし、なりたくもない 個性がありすぎるゆえに弾かれる人を「社会不適合者」と言うなら 私は社会不適合者でいいし、それがいい 本音がそうでも、どうにもならない この社会というのが忌々しい 私はこれからどうすればいいのだろう どうすれば、この不安が、この気持ちが落ち着くのだろう

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不満と罪悪感

辛くても我慢するのが当たり前 逃げるのは甘え みんなしんどいんだから あなただけがしんどい訳じゃないんだから そのくらいで弱音を吐くなんて情けない 大人になったのに責任感も持てないなんて 逃げることや避けること 体調不良で一日休むこと 限界だと感じて一時的に社会から離れること どうしていけないことだと言うのだろう どうして許されないことだと思うのだろう どうしてこんなに苦しいのだろう みんなつらいならそのつらさが分かるはずだ 逃げたいと思ったことがあるならその気持ちだって分かるはずだ 体調が悪い時なんて誰だってあるはずだ 「頑張れ」が苦しいことだってあったはずだ それなのになぜ 誰も手を差し伸べようとしないのだろう 誰も優しい顔をしないのだろう 誰も「ちゃんと休んで」を言わないのだろう つらいと言えば「みんな同じ」 苦しいと言えば「乗り越えればいい」 逃げたいと言えば「甘えるな」 体調が悪ければ「自己責任だ」 では本当に「みんな同じ」なのだろうか 毎日一人ずつ見ず知らずの人間と話をするとしよう そのそれぞれの人間があなたと意見も感情も一致するのだ あなたが良いと思うことを相手も良いと思い あなたが悪いと思うことを相手も悪いと思う あなたが不調のとき相手も不調で あなたが死にたいとき相手も死にたいと思う それが「みんな同じ」である 果たしてそんなことが実際に日常にあるだろうか 似たものに出会うことがあったとしても多少は違うはずだ あなたと「全く同じ」人間など、この世には一人として存在しないのだ すり傷を泣くほど痛がる人と、全く痛がらない人がいるように 心の痛みや限界には個人差がある 精神的な苦痛が身体に影響する人もいれば 周囲に全く悟られずに痛みを抱える人だっている このように苦しみ方だって人それぞれだというのに それなのになぜ「みんな同じ」という軽々しい言葉を世間は使うのだろうか 確かに、苦しみは乗り越えられる つらいことがあっても良いことは必ずある ただその時を待っている間が、とてつもなく苦しいのだ その苦しみを以て強みに出来ればそれに越したことはない だが、もし乗り越えられない人がいたら 乗り越える前に苦しさが上回ってしまったら その人を世間はどう見るのだろう 昔に比べたら今は確かに生きやすい ただそれは、比べたからそう見えるだけである 近年は世界の見方が少しずつ変わり始めている しかし世間全体に広まっている訳ではない 「人生が終わる時には、良いことと悪いことはプラマイゼロ」 このようによく言われるものだが そんな理想を万人が送れる保証はない 責任とは重い それは自分の命よりも遥かに重い そう思わせるほどに、この世界の常識はおかしいのだ 人の視線、人の感情、人の評価の方が断然怖いのだ その恐怖から解放されたくて人は死ぬことを選択肢に入れる 他人が何より怖いから、死ぬのはさほど怖くない もし怖くなっても、それより早く楽になりたいのだ いのちの電話を作ったところで 心を殺しすぎて人に話せなくなった人間は死んでしまう だから救えないのだ 「少しでもつらかったら逃げることを選択肢に入れる」 本当はそれを子供の頃から教えなければいけないのだ どんなにつらくても逃げなかった者が勝ち組 逃げなかった者だけが評価される、そんな世の中だからいけないのだ そんな偏った価値観が世に蔓延るのがいけないのだ 「死にたい」と泣いている人を抱きしめるために 「死にたい」と思わせないようにするために つらいことをつらいと言えるように それが受け入れられることが当たり前になるように 日本はもっと変わらなければいけないのだ

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