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5 件の小説uru
はじめまして。最近仕事を辞めて主婦に専念しております🙌 空いた時間に皆さんの作品を参考にしながら投稿していきたいので よろしくお願いします🙇♀️ お風呂に入ったときなどに アイデアが浮かび もともとの短編を手直し編集することもあります💡 マイ ペースな✒️運び お許しくださいね🙏
香水 パート2
香水瓶には 色々な形がある。 名前もついている。 薄いカラーも。 イメージを膨らませるため。 売り場には sample とシールが貼ってあり 細いスティック状の紙に 一吹きして 香りを試せるものや 小瓶に 小分けし 直接かげるもの コットンが入っているものなどがある。 エリザベス アーデンのグリーン ティー という香水は 抹茶をイメージしたものにアロマを加えたもの。うっすら緑色をした液体が透明の瓶に入っている。 ディオールの プアゾンは 毒? ではなく 魅惑的な 媚薬のような 惹きつけられる 強く甘い香り。 心臓のような形の瓶、真紅を纏った上に黒を重ね塗りしたような魔性を思わせる色。 ブルガリは 何種類も 持っているが 最近はサーモンピンクの瓶と軽やかな香りが気に入ったローズ エッセンシャル。 説明が長くなったが そんな香水(匂いが軽くなる段階で オーデ パルファン .オーデ コロン オード トアレ と呼び名も変わる 日常使いなら ほとんどこちらを使う気がする)を 愛し その日の気分によって また 予定によって 下着を選ぶように 違うものを 身体の違う場所につけるのが 私の密やかな楽しみである。 値段も デパートの 箱入りの贈答用スイーツよりは高い。 ブランド品の カットソー位? プレゼントやお土産に 色っぽい関係になりそうな方か いただいたもの とか 臨時収入があった時に 自分へのご褒美に買ったものとか。 その香りを纏うと 当時の自分の心持ちとか つけていた時の高揚した気分と 時間を取り戻せるようで 束の間 うっとりできる。 即席の タイム マシンのようなもの。 20歳を過ぎてから コレクションしているので 相当な数を持っている。 リピートしている 香りもあるけれど 逆に 合わずに 友人にプレゼントしたり トイレの香水に下ったものもある。 シュッと 吹いたら イメージが変わる 思い 想い 重い そんな 香水を 愛している。 過去の 自分と 自分だけの 思い出を大切にしているように。
時が進んだ?
ガチャガチャから出てきた プラスチックの玉を開けた時 ふわっと 白い煙のようなものが出てきた。 「 え? なに? 」 中に入っていたのは 1センチ四方の 薄い翆色の石だった。 「 石? 使えねーな ま、きれいだし プラスチックでもなさそうだから 持って帰るとするか」 陸は 石だけ ズボンのポケットに入れ 外側の丸いボール状のケースは ガチャガチャの機械の隣に備え付けられていたゴミ箱に放り投げた。 もと来た道を歩いているだけなのだけれど 足元がふわふわしてる気持ちがした。 「 なんだよ、脚に力が入らねぇ 野球やめて身体 鍛えてないからな でも 疲れないってことか 」 少し歩いただけで 身体は汗ばみ まだ新しい制服の上着を脱いだ。 「 気温 上がった? それに もう6時近いはずなのに やけに明るいな 」 さらに歩くと 公園があった。 「 こんな道 くる時 通ってきたかな 」 入り口は アーチ型の 赤い薔薇の門。蕾の薔薇がほとんどだけど 開花しているものもある。 「 こんな目立った公園の入り口なのに 気づかなかったのか? それに 4月の半ばに薔薇が咲く? 早咲き? 俺 花はわからないから ま、そんなこともあるんだろうな それにしても 来る時と エライ違う 雰囲気なんだけど 道 間違えたかな 」 季節と 時間が 誤作動しているような気もしたが 知らない場所でもあったし 陸は怖がりでもなく 好奇心や想像力が強くもなかったので そのまま通過した。 公園のブランコに 小学生(低学年?)位の女の子が乗っている後ろ姿を見たが ロリでもなかったし ありがちな光景だったので やり過ごし 歩き続けた。 既視感がある。違和感はかんじながらも。 いつかの昔 通ったことのあるような デジャヴ? ほら そういうのあるだろう。 たしかにこんなかんじ 以前 夢で見たようなって そんなかんじ。 「 ともかく 降りたバス停に戻らないと 帰りが 遅いと お袋に あれこれ言われるし」 来る時 見た 蔦の絡まる 二階建ての家の前に到着。 「 よかった、もうすぐだ 」 少し待っていたら バスは来た。 夕暮れ時 駅とは逆行きだったからか 乗客は1人。運転手と自分。 ふわふわしていた身体に 感覚が蘇り 同時に疲れたような気もして 陸はうとうとしてしまった。 「 終点ですよ 」 運転手に起こされ はっとして 脱ぎ 肩にかけていた制服の上着をあわてて着込み 駅に向かった。 例のごとく満員電車に乗り 自宅の最寄り駅に着いた頃には辺りは 街灯の着く時間になっていた。 「 ただいま 」 「 お帰りなさい、陸 暑いでしょう? もう 夏服にしないとね 」 聞き慣れた 母親の声。 いや 待てよ、 夏の制服? 4月頭の入学式を終えて まだ2週間しか経っていないはず。 と、 玄関入ってリビングの見慣れた場所にあるカレンダーは 新緑の景色。 5月になっていた。 時は 進んだ?
香水〜記憶が蘇る匂い
香水をたくさん持っている。 毎日 シュッと首筋に吹いても 多分 一生分 あるかもしれない。 そのコレクションの中のものには 求めてから 20年は経ち アルコール分が飛んでコケティッシュな瓶の底に数ミリ色濃く残り 濃厚な香りを 漂わせるものもある。 恋はたわむれ 刻まれる時は うつろい 記憶とともに薄れる 両親 共稼ぎで 弟が 2人もいたからか 物心ついた頃から なんでも自分で考えこなしていた、そのせいか 高校に入って16歳の夏には 厭世的にさえなっていた。 付き合い始めた 同い年の男子校のボーイフレンドにはそんな顔は見せていなかったけれど。 彼は 保険のようなもの、私をJKらしく見せてくれる男の子。 それなりに名前の通ってる中学に入っているから高校 大学と行くだろうし、父親のコネを使っても大企業というジャンルに入るだろう。 新宿から急行の止まる私鉄駅の徒歩圏に祖父の代から土地があり、二世帯住宅に住んでいる。 そこまであえて調べて 付き合い始めたのではなかったけれど たまたま‥ 私も 彼に比べて 劣る環境にいたわけではなかったから友達の友達を通じて遊びに行ったら知り合った。 なんか 君っていつも、いいニオイするね そうお? シャンプーかな 彼は会うたびにそう言ってくれた。 違う シャンプーやコンディショナーの香りなんか 数時間で無くなるもの、 私は そんな かんじの コロンをつけているだけ。 彼や同級生や家族に見せる顔とは 別な顔を持っていた私。 その頃 私には おとなの彼もいた。 中学までは公立だったので学習塾に通っていた、その時の担当の先生だったが 目指す高校に合格し お祝いにと食事をご馳走になったのがきっかけで 月に1〜2回会っていた。 恋人‥ではないか、相手には妻子がいたから。 援交でもない。 過剰なお小遣いやブランドものを持てば家族に不思議がられるし キスよりさらに深い行いをしたのは 一度きり。 同い年の彼に比べ 下着の形がカッコ悪かったし それを脱いだ肩のあたりに薄茶のシミが見えて 興醒めというか 夢から覚めたように 幻滅しそれきりで終わった関係。彼も 追っては来なかった。 けれど 出会った記念にと 初めてキスをしたあと 「 おとなの階段上った カコちゃんに(私のことそう呼んでいた)なにか プレゼントしたいな」 と言ってもらい ミニュチュアとか ドラッグストアに置いてある石鹸みたいな香りのものでない コロンが欲しいと デパートの香水売り場へ連れて行ってもらった。 「 いくつか 嗅いでみて 好みの匂いを選んだらいいよ 」 と プレゼントしてもらったもの。 ミス ディオール と言って お花畑を思わせる華やかだけど かわいい香りだった。 それが私の初めての香水との出会い。 20年以上昔のことだし 欲もなかったから一番小さいサイズを選んだせいで 瓶の底にわずかに残っているだけのものなのだが たまに手首の内側につけると 漂う匂いが 現実から16歳にと 時間を戻してくれる。 その後 色々あったけど 結局 私は 高校生の時の彼と結婚し 昨年の秋に玉のような男の子を授かって 日々 育児に奮闘している。 彼の祖父が亡くなり 祖母は介護施設に入り 空いた家 つまり 敷地内に建つ二世帯住宅のうちのひとつに住み しあわせな生活を営んでいる。
CD
ほら これ回すと 出てくるんだよ でも お金入れないとダメなんだ お母さん 200円入れてよ! また? どうしてスーパーの入り口にこんなおもちゃがあるのかしら お店に入れば おやつだってアイスだって これ食べたいって ねだるのに 200円って 大金よ! ダメダメ!! よく そう言って 叱られながらも 3回に一度は あのガチャガチャのおもちゃにお金入れてもらえたな 家族旅行で 沖縄行って お土産買いに ドン キホーテ 行ったって 黒糖のお菓子なんかより そのガチャガチャやりたくなって オヤジに300円出してもらって そうそう ガチャガチャの機械がずらっと並んでいる機械の前で 家族写真撮ったっけ。 あれも 記念写真かもな。 陸は 心の中で 家族との思い出をなぞりながら 歩き続けた。 中3の夏休みから(けっこう土壇場?)で 学習塾に通い 慣れない 勉強を頑張って なんとか ここならと 両親や中学の担任に言われた高校に 入り ようやく 2週間。 共学だし 花の高校生なんて言われながらも 陸は 毎日がそう楽しくなかった。 なんか チゲェんだよな 部活も弱いみたいだし 陸の行く高校は公立で偏差値も悪くない、自ずと大学受験が目標にあるから そこを目標としてるからか スポーツ系の部活もあるにはあるがレベルはそう高くない。 そもそも陸が塾に通うのが遅れたのは 野球の引退試合が6月にあり そこまではと 親に頼み込んでいたからだった。 ホントに 辞めるのね? 野球選手になれる人なんて 天文学的数字なんだから 陸は たまたまお父さんからの遺伝子がよかったから(母親は運動神経 ゼロ)足が早くて 体格もいいから レギュラーには なれたけど それだって ピッチャーでもないし 大谷にはなれないんだから 勉強して ある程度の高校入って 大学入って 正社員として 働けるように なるには 今が大事なのよ! 口が酸っぱく(ってホントか?)なるほど 母は言って 耳にタコ(できないけどさ)な俺だった。 というわけで 部活も決まらずの学校帰り 通学路の途中 自宅までの急行電車でなく、各駅に乗って 見知らぬ駅で 降りてみた。 ささやかなレジスタンス 真っ直ぐ帰らず。 足のおもむくまま 歩く。 あれ なんか レトロな街並み? こんな家 あったんだ。 メジャーじゃない駅を降り 15分程歩いていたら 迷路のような クネクネとした 細い道に入り 小さく 古い 蔦の絡まるような 二階建ての家があったり コンクリートの塀は 重なるように咲く山吹の花の黄色で 埋め尽くされていた。 古びた 電信柱の街灯の細長い電球が 付いたり消えたり。 陸は驚いた。 今時 こんな 電気あり? LEDじゃないわけ? さらに少し 歩いていると 駄菓子屋があった。 は? マジ? 銭天堂?みたいな店だな。紅子と黒猫 いたりして。 店の前に こどもの頃 はまっていた ガチャガチャが一台あった。 陸は 懐かしい気持ちと 好奇心で 覗き込んだ。 え?20円? なんだか 安いな 機械までレトロ?その位 持ってるよ! ポケットから 茶色の小銭を出し2枚いれ ガチャガチャと回す。 見慣れた ブルーと透明な丸いプラスチックの 丸いボールが出てきた。 小さめかよ! 何が入ってるんだ? 陸が 開ける。 時間は 17時半を過ぎたあたり、 逢魔が時 昼の光が消え 暗闇に包まれるちょっと前
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近頃 亡くなった両親の夢をよく見るんです。 はい、わたしの歳ですか?もう60半ばも過ぎて世間では高齢者と区分けする年齢です。 その両親なんて(特に父親は)とうの昔に亡くなっています。 私自身には子どもも2人、もちろん孫もいます。 その子達の夢を見るなら 納得ですが 何故か亡くなった両親がそろって笑ってる、そう、何十年も前の 今のわたしより若い姿で当時の家の居間にいる夢をみます。 「もっと 食べないと 学校に着く前にヘトヘトになっちゃうよ」 そう言って茶碗の上にその日のおかず(干物とか卵焼きです)を乗せる母。 きっとわたしは中学生か高校生なんでしょうが自分の姿は出て来ないのです。 太陽がのぼり1日が始まって お湯を沸かし夫にコーヒーを入れパンを焼きながらも まだ明け方の夢に囚われて 気づくとぼーっとしています。 「今日の豆はキリマンジェロ?アロマのかおりだね」 「酸味ならモカなんだけど キレの良さはこっちのほうが上だから」 なんていう軽い会話を交わしながら 40年以上連れ添った夫と朝食を取ります。 老いるということは ひらめきや ときめきには縁がなくなりますが 香りには敏感になるようです。 好きな豆を選んで三杯分測りドリップコーヒーを入れる時 少量のお湯をゆっくり入れて蒸らす時の拡がる香りが大好きですし。 前の日入れたお風呂のお湯を落とす時 洗面所から玄関先にまで漂ってくる香りはセレクトしたクナイプの入浴剤です。排水溝に流れ落ちる時までいいにおいを残してくれるので侮れません。 鳥の鳴き声もうっとりします。幸いわたしの家の裏には神社があり その木々に棲む野鳥達が朝夕色々な声を聞かせてくれます。 かわいくて おもわず眼をつむって 聞き惚れてしまうほどです。 「お母さん、あれ お昼寝かな? 1時間程歩いてくるよ、鍵は持って行くからね」 夫が 鍵を閉める音がします。 鳥が鳴いてるさえずりを 耳にしながら うとうとします。 記憶って何歳からあるものなのでしょうか。 わたしはたぶん‥なんですが 2歳過ぎくらいからあるようです。 一番 昔の記憶 おぼろげですが おとうとが産まれるので初めて母親と別々に寝た1週間、まだ冬の寒さの残る3月始め おとうとはわたしと2歳1か月違いなので その頃の記憶だと思います。 子ども心にも悲しくて つらい そんな思いがあったからなのでしょうか。 母の実家 築70年以上経つ明治の頃に建てられた旧家 その家の真ん中の火鉢のある畳の部屋でぼんやりしていた 寒いな と感じていた記憶があります。 明治時代に建てられた旧家、八畳間がふた部屋 納戸があって 廊下があって 玄関は引き戸で土間がありました。 火鉢と掘り炬燵が暖を取る術でしたが 小さいわたしは 掘り炬燵は真ん中に練炭が置いてあるので危険と言われて 1人では入らせてもらえませんでした。 独身の母の弟が、新聞を読んでいました、小さいわたしは拡げられた新聞紙の大きさだけ覚えています。 母の実家は北関東の群馬と栃木の境にありました。 何故 こんな 昔のことを思い出したのでしょう、両親の夢といい 人は亡くなる時に 走馬灯のように 全ての記憶が 頭の中を駆け巡るといいます。 そう、今が その始まりなんでしょうか。 時間にすると数分らしいのですが わたしの生きた 喜びも 悲しみも 潜在意識も 映画のように スクリーンいっぱいに 脳裏に拡がるのでしょうか。 痛みも 苦しみも 感じません。 ただ 少し眠いような‥ 感覚の中でわたしはもう少し大きくなりました、お気に入りのお人形の服をおとうとのミルクの缶を洗い桶に見立てて 洗っています。 そばには笑顔の母がいます。 悪くない、こういうシーンはずっと見ていたい。 きっと 夫や子ども達は 泣くのでしょう。 でも 「おだやかな死に顔、まるで 笑ってるみたい」 と言ってくれるような気がします。