ハゲチャビン
2 件の小説白銀の道 (募集用)
少年2人が空を目指して登っていくハートフルな物語です。
白銀の道 第1話 「親友」 (Novelee版)
僕は、太陽の新鮮な光が届かないほどの、地の底にある街『オルネア』で生まれた。 この街の外には、どこから来たかもわからない雪と、ゴツゴツとした岩の壁と、溶けることのない氷に包まれた世界が広がっている。その名前は 『銀界《ぎんかい》』 これは僕が空と星を見る物語。空は綺麗で、そこには星という光る石ころが一面に広がっているらしい。きっと一度見たら忘れることのできないほど幻想的な世界が広がっているのだろう。 もう一度言いたいから言う、これは僕が空と星を見る物語だ。 ———————————————————— 「待ってよぉー…」 自分と歳が同じぐらいの、一方は大きな体、一方は小柄な子供が鬼ごっこをして遊んでいる。今、目の前で起きている遊びは、一般的な仲良しこよしの鬼ごっこの、緊迫した雰囲気とは異なり、一方的。圧倒的な力の差で、遊んでいるというより、“弄ばれている”に近い。しかし、それが、それこそが「鬼ごっこ」という物なのかもしれない。 駆け引きの状況を見た感じどうやら小柄な方が鬼らしい。鬼と逃げ役、互いの体格の差は歴然なもので、小柄な方はその小さな体に加え、かなりの運動音痴みたいだ。さっきから息切れで、すぐにでもぶっ倒れそうな魂の声がここまで聞こえてくる。鬼は逃げ役のつけた足跡を、後ろからフラフラと擦って、その跡を消すことしかできない。 「うっせ!ノロマ!」 灯《とう》鉱石が放つわずかな光が、鬼の姿をかろうじて浮かび上がらせる。 しっかしここは寒い。そして、暗い。いくら明かりがあってもこの深淵の全てを祓うことはできないだろう。だから目の前にいる生物の姿を視認したい時は、しっかりと目を凝らさなきゃいけない。ちょっとでも気を抜けば、すぐ見失ってしまう。 今こうしてベンチに座って、図書館で借りた図鑑を読む時も。鬼ごっこをしている子供を見ている時も、かなり目を凝らして見ている。本当に目も頭も疲れる。 結局どっちも疲れてしまうのであれば、わざわざ動作を増やすんじゃなくて、子供を見るか図鑑を読む、どっちかにすればいいと思うが、今は、これが一番心地いい。 「あれっ…?どこっ?どこに行ったの?」 鬼ごっこというよりはかくれんぼをしているに近しいのかもしれない。 その時、視界が二度三度暗転した。まさかと思い、ふと、街の中心にある一番大きな大灯鉱石《だいとうこうせき》に目をやる。 その瞬間、この街のメイン的な、とびっきり大きな光を放つ灯鉱石の光が弱まり、ついには砕けて辺りを暗くしてしまった。多分、もう使い古されたものだったのだろう。あんなに大きく頑丈な塊が粉になるほど、壊れる壊れないのギリギリの命を彷徨っていたのだろう。 鬼は、一緒に遊んでいる逃げ役が視界から消え、深い闇の中をうろうろする。 「あれ…。ほんとにっ…、どこ…なの?」 鬼は突然の孤独に声が震えている。声の震え方からするに、泣いてる。鬼なのに臆病…、その役を引き受けたのなら最後まで突き通せよと思う。だが、僕らは子供だ、怖いものの一つや二つは当然ある。 視界が隅々まで黒く塗りつぶされると、色々と思い出してしまう。楽しい事も、悲しいことも。 ———————————————————— この街の外、銀界には『氷域生物《ひょういきせいぶつ》』という生き物が住んでいる。 氷域生物というのは総称で、それぞれの生き物に、その生き物の特徴や雰囲気に合った、しっかりとした名前がついている。みんな姿形様々で、凶暴な奴もいれば臆病な奴もいる。 中には、我々人間がその生き物に触れたり、その生き物を口にしたりすると、目の前に、現実と区別がつかないほどリアルな幻覚を見せたり。まだまだ生きれる元気な僕たちの体の中が、ぐっちゃぐちゃになってしまうほどの猛毒を出したりする奴もいるらしい。 これらのことは全て、ある研究部隊によって解明されてきたことだ。 でも多分、いや、確実に。まだ銀界のどこかには誰も見たことのない氷域生物がいるのだろう。できれば遭遇したくないものだ。 この街は、小さな段差や坂、階段はあるが、大きな真ん中の大灯鉱石を中心に、大まかに三つの段に分けられる。一段目に学校や公園、二段目に住宅、三段目に市場や食べ物などを売っている店、順番に円のように広がりながら階段状に建物が建てられている。 大灯鉱石を背にし、銀界の入り口を見た方が北区、そして右を東区、左を西区、大灯鉱石の方を南区とし、四つの区に分けられる。店と家が合体している建物もあって、二段目のところに食べ物屋があったりする。凄くややこしい。だから、街の中で自分の自宅や、今いるところを教える時には東中段区や北上段区などと説明する。 一段目に僕らみたいな子供が遊ぶところがある理由は、「いつでも、何をしていても、どんな時でも、子供が目に入るから」という理由らしい。そして三段目に市場があるのは、仕留めた生物の肉。バラす時に出てきた、装備に使えそうな素材。生け取りにした生物を育てて数を増やしたり研究したり。あと買い物。それらが一気にできるように1番上の段に加工場や養殖場が集まっている。 そして北上段区にある、肉屋と道具屋の間の道、そこを少し、15メートルぐらい、真ん中の大灯鉱石とは逆の方向にまっすぐ行ったところに、『銀祈《ぎんき》の隧道《ずいどう》』というのがある。これは、街と銀界をつなぐ、唯一の通り道である。道は入り組んでいて、うねうねとした道らしい。この隧道を使って、武装した大人たちがたまに銀界に踏み込み、銀界に数箇所、設置した罠に氷域生物かかっているかを確かめに行っている。 街側の隧道の入り口には『境界線』がある。 不思議となぜかその境界線を越えて氷域生物が街に入ってくることはない。こちらから捕獲し、連れてこない限り。 氷域生物はそこを越えることができないのかも知れない、それは習性か、もしくは呪いのようなものなのか。 僕が今よりも幼い時に、カジバという、明るい金髪にさらっとした髪質、髪型はショートで、透き通った赤い目をした同い年の友人がいた。 僕は昔、西中段区に住んでいた。古い建物だったのか今はもう潰れて、新しい家が建てられている。カジバはその時の家の近所に住む少年で、すごく優しかったのを覚えている。何に対してかは忘れてしまったが、優しかったのは覚えている。 そして、友達同士にしては少し距離感が近すぎて、僕が一度「離れてくれ」と強く言ったのを覚えている。その時のカジバのにおい、一言で表すならば「心地よかった」とでも言おうか。 武装した大人たち、それは銀界調研隊といい、名前が長いからみんなから銀研と呼ばれている。銀研は簡単に言えば『銀界を研究する者たち』である。年齢制限はあるが、たまにそのルールを超えるようなバカがいる、よく言えば自由、悪く言えばゆるゆるである。 銀研はグループで分けられていて、初代銀研の名前は『銀研000部隊』という。 グループが増えるごとに001、002と数が増えていき、その数はとっくに百を超えている。 カジバの父が銀研で、名前は『銀研156部隊』という。ご飯どきに研究の成果を父が話してくれるらしく、よくカジバから「俺の父ちゃんすげぇんだぜ」って自慢げに話してきていたのが記憶にある。まあ、内容は結構忘れてしまったところはあるけど。 ある日、カジバがいつものように誇らしく近づいてきた。また彼の父親の話をするのかと思った、でも今回は少し違った。でもそれに関係する話ではあった。 話を聞くと銀研がまた今度、銀界に行くらしい。今回は銀界での活動範囲を広げるために、いつもより大きく登るらしい。 その話を聞いたカジバは、父と一緒に冒険したかった事、自分もついていっていいかと尋ねた事、おねだりがあまりにもしつこかったのか渋々了承してくれた事、そして父についていくために少しの間会えなくなることを、順番に、ゆっくり、でもところどころ興奮気味に。内側から解き放たれ、手も足も姿もないのに今にも駆けだしていきそうな憧れとともに話してくれた。 それを聞いた僕はその時、友人との突然の予告的別れに泣いているのか、それとも友人の夢の第一歩に喜んでいるのか、わからないような表情をしていたと思う。 友人の旅立つ日がやってきた。 『溶氷亀』という氷域生物の甲羅を加工した灰色ベース、側面に深緋色の模様が入った兜。寒さにも攻撃にも耐えるために何重にも布を圧縮し、上からまた別の頑丈な氷域生物の皮素材で覆うように加工された防寒着。これはかなりゴワゴワした感じに聞こえるが、全くそんなことはなく、動きやすいようにうまく加工されている。動けば少し体のラインがうっすらと見えるぐらいにはすらっとしている。そして背丈によく合った大きさのマントのようなものを羽織っていた。 カジバの武装した姿は、友人ながら嫉妬してしまうほど格好良かった。 カジバがこちらに歩いてきて「ドヤ!」と言わんばかり勢いよく両腕を広げ、マントをファサッとはじき、両手を腰に当てる。僕はそれに微笑み、ただ頷くことしかできなかった。 カジバは自分の兜を脱ぎ、縁の部分を指差した。そこには『銀研156部隊 見習い カジバ』と彫られていた。綺麗に彫られた文字から、少しだけ離れたところに『カジバ』の文字がある。左側の文字よりも、かなり下手に彫られているのを見ると、多分自分で彫ったのだろう。 カジバがもう一度同じ場所を指差し、何かを伝えたいらしいのだが、自分で巻いたのだろう、マフラーの付け方が雑なのか、それが口を塞ぎ、出てくる言語はモゴモゴ語で、何を言っているのかがわからない。 雑なマフラーを一度取り、少しずつ巻き直してあげた。再び何を言っているのか耳をカジバに向ける。今度はちゃんとした言語で帰ってきた。 カジバが言っていたことは、なんとも簡単な頼みだった。それは『カジバ』と彫られたところの隣に、僕の名前を彫って欲しいという頼みだった。そんな簡単なこと、いつでもすぐにできるのに、なんでこんな大事な時に。 そう思っていると、何かを感じとったのか、カジバがきっちりと説明してくれた。 『どれだけ離れていても、どれだけ時間が経とうとも、絶対に忘れないように』 僕は、その願いを受け取り、『カジバ』の後に、少し空けて、近くにあった尖った石の先で力強く、絶対に消えないように『トレジア』と彫った。 その場で5、6分は喋った時だった。銀研の部隊の先頭の方からカジバを呼ぶ声がした。 声の方に目をやると、大きな体をした一人がこっちに来ていた。背負った大きなツルハシに『銀研156部隊 銀導』と彫ってあったのを覚えている。それを見るや否や、カジバがその向かってくる大人に飛びつき、顔を胸に埋める。 その向かってきた大人がカジバの父だとわかるのにあまり時間はいらなかった。 カジバが父の腹に頭をゴリゴリするたびに苦しそうにえずく。それをなんとか引き剥がそうとするがガッチリと体を掴まれているらしい。あの硬そうな兜でゴリゴリ削られたらと思うと、、、考えただけでも恐ろしい。 カジバと父の微笑ましい愛《じゃれあい》を、ただ外から見ることしかできない。 それはまあ、なんとも幸福で、なんとも寂しいものだ。 しばらくして、興奮したカジバも落ち着き、父がカジバと話している。 楽しそうに話している二人を少し遠くから見ている間に、彼の父の肩書きを整理してみた。銀導《ぎんどう》、名前の通り『銀界で導く者』、つまりリーダーということだろう。 十数人の群れの先頭に立ち、バラバラな感情を一つにまとめられるほどの信頼と実力、何かイレギュラーな事態に対応できるほどの判断力があるからこその肩書きなのだろう。 どうやら、そろそろ出発するらしい。 別れというのは、嬉しくも悲しくもある。逆の意味を持つ言葉が、同じ場所、同じ時間に混ざり合う。すごく、複雑で不思議な空間だ。 銀導が部隊の先頭に立ち、笛を吹く。あたりに鋭い笛の音が反響する。その音を聞いて、少しずつ前に進んで境界線を越えていく人の波。カジバはその波に一番後ろからゆっくりとついていっている。友人のだんだん小さくなって進んでいく背中が、何か誇らしい。カジバが後ろを向き、自分に向けて手を振る、それに手を振りかえす。 多分この時、どっちも少し泣いていた。 カジバの帰還をずっと待った。カジバは言った、少しの間会えなくなると。その“少し”という言葉を信じて。 学校が終わったらすぐ、銀祈の隧道の入り口に行き、近くの岩に腰掛ける。隧道の突き当たりを見て、境界線を見ての繰り返し。 毎日。一日たりとも見なかった時はなかった。風邪をひいても、晩御飯のおかずが好きな物であっても。 多分、この時は自分がなんなのかわからなくなるほど、毎日、静かに泣いていたと思う。 帰りをずっと待っていると、たまに境界線ギリギリまで歩いてくる氷域生物がいる。多分迷い込んできてしまったのだろう。 種類は様々で、小さなウサギのような生き物もいれば、ぐっちゃりぃとした粘り気のある液状の、でもなんとか形は保っている犬のような生き物もいる。 本当にたまに、群れで迷い込む氷域生物もいて、その群れの先頭が崩れると、そのまた後ろの列が先頭の頭を踏みつぶしながら歩いてくるので、頭がグッチャグチャに潰れてしまうことがある。血生臭く、本当にかなり精神的にくる。 そう、これが、僕が思う『怖いもの』だ。 いっそのこと、この体を齧ってもらい、臓器も悲しみも、全て開放してくれと望んだこともあった。でも、そんなことをしても、今のこの状況から目を背け、めんどうくさくなって、全てを捨てただけで、決して解放されるわけじゃないのに。 あとカジバが悲しむ。 それでもやっぱり、境界線を少しでも越えてきてくれるものはいなかった。 ———————————————————— その群れの地獄絵図を街の人に見られてからは、境界線の上には、隧道の入り口なんて優に塞がってしまうほどの大きな門が建てられた。もう直接、友人の帰りを一番に迎えて、一番に抱きしめることはできなくなってしまった。 だけど、それから2年経っても、何も156部隊の報告が無いということは、あまり考えたく無いけど、多分、どこかで雪になっているのだろう。 (また、思い出しちゃったなぁ…) 少しだけ忘れてしまっていた過去のことを、校庭で遊ぶ子供を見て、失ったその少しを戻す。本当にどうしようもないなと自分でも思う。別に考えても、あの子が戻ることは決してないのに。でもそうしないと、頭の中にいるあの友人が、存在ごと少しずつ消えてしまうような、そんな気がする。それだけは絶対に避けたいことだ。 気が滅入り、ため息をしながら考える。心を落ち着かせ、もう一度考える。 友人のことを思い出したら、今さっきまで心地いいと感じていたことが急に悲しくなってきた。 11時の休憩のとき、僕はいつもこうしてベンチで本を読んでいる。 いつだったかは覚えていないけれど、確かこの木の下のこのベンチで、カジバと会った。 下を向き、誰にも見つからないように。足を少し強く閉じて、上半身を丸めて、小さくなって図鑑を見ていた時、小さな手が目の前に現れた。目線を図鑑から手、手からそこにあるであろう人の気配に移動させる。 そこにいたのが、僕に初めてできた親友、カジバだった。 カジバと出会う前は「友達なんていらない」と思っていたと思う。でもやっぱり一人は寂しくて、友達を作りたくて何度も話しかけようとしていたけど、もし断られたらと思うと怖くなって、縮こまって。その一歩を踏み出すことができない矛盾だらけの情けない自分に、唯一むこうから話しかけてくれたのがカジバだ。 カジバは友達が多いし、すごく優しい。多分一人になっている子を見つけてしまったら、放ってはおけない性格なのだろう。 進んできた道も、進もうとしている道も、進まなかった道も全て、ずっと深い闇だった道を照らしてくれた。 「出会って来た人間の中でも、お前は一番優しい。俺の話をちゃんと聞いてくれる。だから信用できる。お前は一番の親友だ。」と言ってくれたのも今、思い出した。 そうだ、そんなことがあったからこそ、あの子は優しいんだ。なぜ忘れてしまっていたのだろう。それほど大事なことを忘れていたことにさらに悲しくなってきた。 この街の全てを飲み込むほどの深い闇。その闇に甲高く、嫌でも記憶に残るほどの子供の喚き声が周りの岩や建物を響かせ、それが耳に入ってくる。友人のこと、小柄な子供、うるさい声、いつまで経っても晴れない視界、この短時間で本当にかなりのストレスになっている。肉体的にも、精神的にも。 しばらくして、視界を覆っていた闇が晴れた。街の中心を見た感じ、真ん中にあった大灯鉱石は新しいものと交換されたらしい。さっきよりかは少しだけ明るくなり、人の顔が見えやすくなった気がする。しかし、あんな大きい物、どうやって運んだのだろう。 『「授業が始まるよぉ…」』 忘れかけていた人物のことを思い出して、そしてまた忘れないように脳の壁に記憶を押し付けている時に、いきなりの音圧で頭を殴られ、現実に戻された。 ザラザラとした、少しノイズ混じりの大きな声に驚き、拍子に上へ、少し後ろに跳ねてしまい、壁に頭がぶつかった。打ったところを中心に、痛みがじんわりと広がっていくのがわかる。あまりにも強く打ったせいで、せっかく押し付けた記憶が飛びそうになったが、なんとかそれをギリギリで戻す。 集中していて気が付かなかったが、いつの間にか学校の鐘が鳴っていたらしい。崩れ落ちそうな暗い死んだ色をした木に、釘で止められている時計がある。時計の針は短い針が11、長い針が55を指していた。 『「ありっ?あぁ…、音量ミスっちゃったぁ…」』 この、先ほど授業があと5分で始まることを予告しに来た人物は、僕たちの先生であり、この学校の校長でもある。学校には先生の自室があり、そこに住んでいる。 僕たちからしたらただの学校でも、先生のとっては大事な家ということだ。 本名はルゴゼフルド、みんなからは『ルゴ先生』や、しょうもない悪さをして先生の気を引こうとする子供からは『フルドン』という愛称で呼ばれている。その名前に嫌な顔をせず、受け流しているということは、きっと根は優しいのだろう。 性別はわからない。でも多分、女性。だって男にしては顔が女性で、美しいというよりかは、可愛い寄りのお顔立ち。 分厚くてシンプルで大きなマント?を羽織っているのもあり、体のラインがどんな感じなのか、胸が大きいのか、どの位置にあるのか、お尻は大きいのか小さいのか、さっぱりわからない。だから本当の性別はわかんないとしか言いようがない。 髪は多分、胸のところまで伸ばしていて、色は黒、髪質は綺麗。 そして言動がたまに怖くなるらしい。先生はいつも、喋る時は母音を伸ばすような、優しく、眠そうな喋り方をする。が、この前、一年前だったかな。店でお菓子を万引きをするという、何か理由があれば許してしまうかもしれない事をした生徒がいた。生徒が万引きをした理由は「悪い事をするやつはなんとなく格好良いから」というものだった。それがいけなかった。先生が休み時間、その生徒を自分の部屋に連れ込み、何をしたのかはわからないけど、何かをしたのだろう。 休み時間が終わり教室に戻ると、顔が涙と鼻水でぐっちゃぐちゃのその子がいた。本当に何をされたのだろうか。 そのぐっちゃぐちゃに先生が近づき、耳元で何かを囁く。すると、ぐっちゃぐちゃの顔面についている目の中に光が入る。その瞬間、机を前に勢いよく押し、椅子をお尻で後ろに飛ばし、立ち上がり、生徒は先生に抱きつこうとダッシュする。が、先生はぐっちゃぐちゃ顔だったやつの額に右手を突き出し、サッと止める。 短時間での、この子供の表情の変わりよう。本当に何をされて、何を囁かれたのだろうか。 そして、先生の甘々ダウナー時とマジギレ時のその二面性。マジギレ時に関しては見たことがなく、噂だけという。謎は深まるばかり。 先生は声が小さく、拡声器を通して声を届けているため、ところどころにノイズが入る。本当の声は誰も知らないけど、万引きぐっちゃぐちゃ小僧の噂によれば“可愛い”らしい。 拡声器は折りたたみ式で、手のひらサイズまで小さくすることができる。全体の色はグレー寄りで、持ち手が黒いテープで滑らないようになっている。ルゴ先生のお気に入りの色の拡声器だ。 でも、お気に入りなくせに、たまに壊れる。壊れるというよりかは、消滅?に近いのかもしれない。授業を受けていた時に、ふと外に視線を移動させた時に「ゴシュッ」みたいな音が聞こえて。ルゴ先生が手に持っていた拡声器がその姿を残さず、消えてしまったことがあった。噂によれば同じ色の拡声器のスペアが、あと25個以上自室に設置している大きな机の引き出しにしまってあるらしい。 ルゴ先生の一番の特徴は、なんといってもあの足の遅さだ。多分今、教室に戻ろうとしているのだろうけど、全く進んでいない。学校の全ての廊下の真ん中には、先生専用の長いベルトコンベアがあって、進む方向を先生が持っているリモコンで切り替えることができる。多分今、それに乗ろうとしているのだろう。でも、ここからじゃ全く動いているようには見えない。きっとこの街のお年寄りを全員集めてかけっこしても、最下位だろう。 先生のことでわかっているのはこんなところ。 一言で表すとしたら「子供好きの無気力な頑張り屋」とでも言おうかな。 最後に。みんなは、ミステリアスで優しい、そんなルゴ先生が大好きだ。 涙ボロボロ鼻水ダラダラ手足フラフラ小柄息切れ小僧が、視界にルゴ先生をがっちりと捉えると、さっきまでの泣き顔、喚き声、感情が嘘のように、ぐっちゃぐちゃの顔がパッと明るくなった。 小僧が先生のほうに駆け寄り、勢いよく抱きつこうとする。 だが、軽々と右手ひとつで額を押さえられ、それ以上近づけない。 先生は子供が好きなはずなのに、なぜあんなにも抱きつかれるのを避けるのだろう。 そして、額を止めたあの手の動きは、目で追えないほど素早かった。いつもはノロノロよりもノロノロな動きなのに。本当になぜなのだろう。 それでもなお、感情変化激しい小僧が強引に抱きつこうとしている。 『「うぅん…、離れて欲しいなぁ…。君を止めるということを指示している脳も疲れるし…。腕…、上げてるからさぁ…、肩の辺りも疲れるし…。えぇと………、ちゃんと聞いてる……?」』 ルゴ先生の文句が聞こえる。声は小さいはずなのに、拡声器が先生の全ての声を拾ってるせいで、小さな文句も筒抜けになってしまっている。 先生が短く深くため息をついた。その瞬間、小柄な子供が先生の脇をすり抜け、勢いよく「ステーン」と転んだ。あの岩肌が剥き出しのゴツゴツとした地面に顔面がゴリゴリと擦れ、全身がやけどをしたようにただれるのは、あまり考えたくないことだ。その状態を少し想像してしまったせいで吐き気がする。 でも、見た感じ小柄の体は傷ひとつついていない、元気ピンピンな状態だ。なんなら、また抱きつこうとしているが、先生の「また?」という無言の圧にビビって躊躇している。 想像していた最悪なことが起きなかったことに安堵する他に、あの小柄なやつのタフさが気になって仕方ない。体はタフなのに心は脆く、弱い。誰にでも弱点というものはあるのだと再認識した。………じゃあ、ルゴ先生にも弱点が? 先ほど、先生は子供の押しを止めるのに使っていた力を一気に緩めたのだろう。そのほうが動作が小さく、体力の消費も最小限に抑えられる。そして、「この子供なら勢いよく転がしてもいい」という判断になるのは、子供をしっかりと見ているということなのだろうか。 でも、教育者としても、人間としてもよくない気がする…。先生って、もしかして性格悪い? これ以上ミスをしないように、先生が拡声器のつまみを捻り、音量を調節する。先生はもう二回もミスをしている、きっと「三回目は無い」と心に深く刻み込んだのだろう。けど、それはミスしない時間を少し伸ばしただけで。多分、四回目はすぐにやってくる。 「ルゴ先生〜、僕ってこのあと授業?」 小柄が先生に質問をする。 『「えぇぇ…。ううん、確認するねぇ…。ちょっと待っててぇ。」』 先生は、羽織っている大きなマントに手をしまい、中をゴソゴソと漁る。そして一枚のボードを出した。おそらく生徒の情報や、スケジュールなどが書いてあるのだろう。しばらくの間確認したあと、小柄に視線をむき直し、どこかダルそうに微笑みながら言う。 『「君は、この後の授業は受けなくてもいいはずだよぉ…?」』 その言葉を聞き、小柄は小さく喜び、大きくガッツポーズをした。 『「ひとまず…、この後の授業に出る子は教室にくるようにぃ…。」』 うまいこと調節された拡声器で、次の授業があと3分で始まることを知らされた。音量が違うだけで、こんなにも心地よくなるものなのか。 ルゴ先生はそう言うと、ゆぅっくりと後ろを向き、ノロノロよりもノロノロな速度で歩き始めた。移動し始めたであろう先生に、校庭にいるみんながいそいそと後を追う。最初は勝っていたのに、先生は足が遅すぎるせいで、みんなに抜かされてしまっている。 しばらくそれから、1分ぐらい経った時、「ゴウンッ」という機械が動く、重々しい音が辺りに響いた。多分、ルゴ先生がベルトコンベアに乗り、小型リモコンで動かしたのだろう。最初に僕らに予告した地点から、ベルトコンベアのところまで、大体2、3mぐらいしか無いのに、その距離を1分かけて歩く。いくらなんでも遅すぎる。 「なぁ、もしかしてお前もか?」 声が前方から聞こえ、顔を上げようとしたが、力が入らない。 返答をせず、時間だけが過ぎていく。周りの声、音すらも聞こえなくなり、静かになった空間。それでも、自分の心臓は動く。まるで、耳のすぐ横で動いているかのように鳴る。一定のリズムだったのが、だんだんとその感覚は狭まり、それでも振り切らず、またその速度を保つ。 2種類ある。 一つ目は、目の前にいる者が、この場から去っていること。 二つ目は、まだ目の前にいることを願うこと。 このまま顔を上げずに、現状変わらず図鑑を読む。それか、顔を上げずに図鑑を持って逃げるようにこの場から僕が去る。できればこの二つはしたくない。 やっぱり、自分には素直になった方がいい。 僕は『友達が欲しい』 結局、悩んでいても、顔を上げないと何も解決しないことはわかっている。 これほど自分のことを説明して、頭の中で整理して、崩して、また整理して。そうでもしないと行動に移せない。劣等感だけが心に積もっていく。 「あっ、やっと顔上げた」 顔を上げると、そこにはさっきの小柄な少年が、両手を重ね、片膝を持ち。覗き込むように屈んでいた。